[2025年3月23日]
よく晴れて良い天気の日曜日。
春になりましたか。
まあ、そんな感じ♪
朝刊、経済紙。
記事の合間を縫うように教育事情が一面に。
日曜版、チャートは語るシリーズ。
教科書が分厚くなりました。
教科書のページは小学校が約3倍、中学校が約2倍。
学校現場は教えることに追われてしまっているのではないか、というような内容でしょうか。
ゆとり教育からの脱却ということで、そのような教科書になってきて、確か、文科省か学習指導要領かの概説に教科書は全部教えなくても構わないということが示されていたのではないかと思います。
杓子定規にとらえるとそういうもので、実際には教えなかったとしても、また別のところで学習する内容もあるわけで。
「世界の教育はどこへ向かうか」能力・探究・ウェルビーイング
白井俊/中公新書2844/2025.2.25.
帯には、…不確実な時代を生き抜く力とは?…、日本は大丈夫?…と。
教育関係者、子育て世代必読!とまであれば読まないと、と読みましたけど(^^♪
著者はなんと教育行政の本丸のようなところにおられた方のようで。
そこをまあ果敢に挑まれた一冊でしたね。
よく言われていた、フィンランドの教育、日本からドッと押し寄せる教育関係者の質問に、何でここに来るの、というようなことだったらしい。
シンガポールの躍進。
いいでしょうけど、小学6年生から中学1年生になる時点で学力選抜して行き先が決まるのは、それはそれでどうなんだろう。
人口規模で言うなら、何かと話題になる国は、日本ならば地方自治体程度。
やりますか、どこか。
話は戻って、教科書。
先の本から関連して。
海の向こうのアメリカの教科書はかなり分厚いらしい。
日本では重いランドセル問題からして、うまくやりこなすのは一人ひとりの対応に頼らなければならないのが現状で。
教育関係者の視点、立場というところでは。
「教師」から「教育者」へ、コーディネーターとしての教師の役割、などイメージとして伝わりやすいところがありました。
振り返ってみると、今の塾の様々な形はそのような体制、態勢のものになっていることも多く、成り立ちからして寺子屋や塾からの流れというか、ちゃんと遺伝子を引き継いでつながっているのではないかと思います。
また、引き継がれていくのだろうと考えています。
どうでしょうか。