[2025年6月15日]
梅雨ですね、という天気の日曜日。
お出かけには、ちょっと。
さて、買い物にはどうか。
それにしても、そこらあたり、昔には戻らないのだろうか、というノスタルジー。
近くでは、シーダーが時代ととともに変わりつつある模様。
昭和の頃のスーパーは、おそらくお店の作り上からなのか、入り口から順に、果物屋さん、八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さん、かしわやさん、総菜屋さん、乾物屋さん、昭和的加工食品売り場、パンやさん、生活雑貨のお店、などが並んでいましたか、どうだろう。
協同協働経営的なもの、まあ、まさに市場だったわけで。
それが企業化されたお店スタイルになって、消費者は消費をする人になってしまったのではないかと思うのです。
いつの頃の時代からか、買い物かご持参から、紙袋が使われるようになって、歴史的発明なのかもしれないレジ袋になって、今はショッピングバッグ持参なので、外見は昔に戻っているのかもしれない。
Convenience storeの画期的発明のPOSシステムから始まり、セルフレジやスマホなど、現代の最新のシステムを利用したお店が当たり前になって、この度のコメ問題もそのような仕組みに振り回されていませんか、どうなのか。
2、3年前、まだ踏ん張っていた書店が閉店になると聞いて、店員さんと話していたら、Amazonには勝てません、とつぶやいておられましたけど。
読書三余。
「なぜハーバードは虎屋に学ぶのか」ハーバード白熱教室の中の日本/佐藤智恵/Sato Chie/中公新書ラクレ842/2025.5.10.
タイトルに釣られて書店で注文しましたけど。
そうでもしなければ本屋さんが無くなってしまうと勝手に思い込んでいるのですが。
読み始めて、あはは、勘違いしていたこと。
この本の「ハーバード」とはハーバード大学経営大学院のことでした。
歴史、これはどうしようもないことで、アメリカは新しい国である、いい意味でもそうでない意味でも、そのように改めて感じながら、今、半分くらい読みました、あと残り少し。
今朝の日経一面には、USスチール関連の記事。
アメリカ、こけたら困るからなんとか頑張っていこうじゃないか、ということなのだと思うのです。
先日からの日経の記事でも何度か目にしたのが、日本の大学がアメリカからの研究者を受け入れるなどの記事、国が制度を整えて構える模様。
国と国も学びあいのようなことがありますか、少なくとも人と人、その集まりのグルーブ、組織と組織、これは切磋琢磨しているのじゃないか、どうだろう。