[2025年10月2日]
晴れのち曇りかな。
うろこ雲に飛行機雲。
すっかり秋の空になってきましたか。
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オジサンの朝読書。
「生きる言葉」俵万智/TAWARA Machi/新潮新書1083/2025.4.20.
積読本から思い出したように、書店でも平積みで並んでいるよなあ、そろそろ、と読み始めました( ´∀` )
スマホの時代になって、今こそ、言葉、と言うようなことのようで、確かにそうだなあ、と。
……「コミュ力」という教科はない……というところを読んでいて、ふと、学校で取り入れられている「学び合い」と「縦割り」のことを考えました。
叡中では進学のための面接が始まっていて、学び合いのことも問われるようです。
実際の生徒からの感想を何度か聞いたことがあって、反応はまあ、必ずしもいい、というようなことでもなさそうです。
先生からいわゆる一斉講義式の形で教えてほしい、との声も。
先生の立場からすると、学び合いは事前の準備が一斉授業よりも大変だろうし、授業の運び具合もその時その時の生徒たちの反応によるので、なかなかすべてを学び合いでと言うのは、舞台裏ではしんどいかも。
つまり、まあ、学び合いは効率がいいかどうかというようなものではないので、そこを取り上げるものじゃあないでしょうね。
縦割りも生徒自身、学年が上になって初めていろいろなことが見えてくるものじゃあないですか。
上に立つことなどなど、苦労が。
じゃあ、そのようなことが、学習面、勉強するだけでも負担で高校入試も控えているのに、果たして学校教育で今、必要なのか。
そう、問われると、今だからこそ、必要なところがあるのだと思います。
なぜ、その高校に行きたいのか、だれにも分かるように説明できますか、と。
自問自答のようなところが大切でもあるわけで。
とにかく、まあ、世の中が何せ、スマホですから、人はパーソナルな方に引き寄せられてしまっていて、自分のことは何となく見えても、どうみられているかは見えないし、どうしていけばいいかもわからない時も出てきているのではないか。
そこをネットの世界に求めても、どうなん、ということですよね。
俵さんの「コミュ力」では、昔の共同体の中での生き方のような、人らしさのところが描かれていて、さあ、明日の朝読書へ(^^♪
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そうそう、受験生、中学3年生も、このようないろいろな新書を読むのがいいと思います。
直接的には、全国の高校入試問題や中学入試問題を見ていても、その年、最近、よく出回った本から引用されているようなこともありますから。
以前、高校入試でとてもよく使われていた永田和宏さんの「知の体力」を中学3年生に薦めたら、お父様は大人が読む本だなあ、と話されていたそうで、ただまあ、小学生高学年からは、あまり、そのような年齢の区別はないのではないかと思います。
おそらく、国語力はついてきているでしょうから。
まあ、逆に、読まないとつかないのでは。