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三田学院

[2016年7月30日]

シンガポール(1)過酷な受験競争

きのう、シンガポール在住の友人が教室を訪ねてくれた。

夏期講習の昼休み時間の約1時間程度の雑談であったが、シンガポールの最新の教育事情をお聞きすることができた。

まず、シンガポールの大学進学率は約5%と狭き門であるということだ。

これは国民が貧しくて大学に進学できないのではない。シンガポール国内には超難関大学しか存在せず、学力超上位層しか進学できないのだ。

当然、大学進学競争は過酷なものになる。初等教育や中等教育の段階で選別が進み、10歳にして大学進学の可能性が残る児童・生徒と、それ以外にコース分けされてしまう。

大卒相応の仕事は5%しか存在していないという判断があると見ても差し支えないであろう。大学教育に国の予算(財政)をつぎ込むのであれば、学力上位5%未満の人には無駄になるという考えだ。

この「5%」はシンガポール独自のものではない。旧宗主国であるイギリスも大差はない。イギリスでも大卒は超エリートである。また、ドイツ、フランス、スイスも大学は超狭き門だ。イメージ的には難関国立大学しか大学が存在しないのとほぼ同じだ。

共通しているのは、選ばれた学生はほとんど授業料を払わずに高等教育を受けられる点だ。

これに対し、アメリカや日本は大学卒はエリートとは限らない。日本では約40%が大学に進学するので、大卒というのは「並み」程度以上であることの証にしかならない。

統計数値からは「高卒」は「並み」以下と見られてもしかたがない状況になっている。これは「大卒」資格を安売りしてしまった結果だ。

高校(ボンクラ高校を除き、名実ともに高校の検定教科書水準以上の授業をしている高校)の授業内容をしっかり理解できていれば、国際的にはかなりの学力水準であるはずなのだ。

戦前の日本も大卒は約「5%」であった。戦前は大卒はエリートだったのである。しかも大学というのはほとんどが「官立」つまり「国公立」であった。現在の有名私大も当初は「専門学校」か「私塾」でしかなかった。

何が言いたいのか。日本では「大学卒」の学歴を手に入れるのは超簡単だということだ。

これは世界の学力調査で日本の学力順位がドンドン下がっていることと無関係とは言えないであろう。学力水準は先進工業国最低レベルだ。

大学設置基準の緩和が学力に悪影響を与えていないか、という疑念が生じる。

しかも、私立大学を含め巨額の財政が投入されている。国や自治体の財政状況が極めて厳しい状況下にあるにもかかわらずである。

財政収支のバランスを本気で考えたら、将来は大幅に大学予算がカットされても仕方がないのではないか。

その予兆はすでにある。「グローバル・トップ型」大学が13大学に限定されたことだ。

文科省の中では、かつてひそかに「トップ13大学」構想があった。優先的に研究・教育予算を配分する大学を少数に限定したのだ。しかし、これに私立大学が含まれていないことがバレ、明治大学などの猛反対でボツになった。

これが形を変えて、私立大学にも一定配慮されて「グローバル・トップ(GL)型」13大学となった。しかし、私立大学は早稲田と慶応の2大学のみで、明治や中央などは選ばれなかった。早稲田と慶応を入れたため、国立では一橋と神戸が落選となった。

東京、京都、大阪、名古屋、東北、北海道、九州、東京医科歯科、東京工業、筑波、広島、早稲田、慶応=GL13

国公立大学の定員は現在約10%まで上昇しており、かつては国策で約5%以下であったから、歴史的に見ても入りやすい状況が続いている。

私立大学では入学選抜が機能していない、つまり誰でも入れる大学・学部がドンドン増えている。

学歴競争や受験競争の弊害はもちろんある。しかし、競争がないか極めて緩い状況も別の弊害があるのではないか。

人的資源が最大の競争優位の源泉である日本の将来が危うい気がする。

ボンクラ大学への補助金はカットします、という有力政治家は今のところ皆無なので、しばらくはこの状況が続くのであろう。