[2016年8月30日]
教育に関する部分で、少しだけ補足しておく。
本書では、遺伝と環境に関するデータを慶応義塾大学の安藤寿康教授著「遺伝マインド」(有斐閣、2011)から引用している。
これによれば、おもな項目の遺伝による影響は以下の通りだ。ここでは「遺伝」以外(共有環境、非共有環境)をすべて「環境」として合算している。
一般知能:遺伝77%、環境23%
数学:遺伝87%、環境13%
スポーツ:遺伝85%、環境15%
音楽:遺伝92%、環境8%
ADHD:遺伝80%、環境20%
どのような印象を持たれたであろうか?直感的に納得できたであろうか。
遺伝の影響がゼロ%であれば、すべては努力次第と言えるが、遺伝の影響があるということは、努力だけではどうにもならない部分があることになる。
数学、音楽、スポーツの才能は、かなり高い比率で遺伝による影響を受けていることがわかる。
アニメ『巨人の星』のようにスパルタ式で鍛え上げても、一流になれる可能性はとても低いのだ。
スポーツの才能がない子どもが、親の厳しい指導のせいで、結果を出せないまま、過度な練習で身体を痛めてしまう事例は、実はとても多い。
音楽はわざわざ書かなくてもお分かりいただけるであろう。しかし、美術の遺伝的影響は56%とそれほど高くないことは意外である。
一つ、福音をお伝えしたい。
学業成績:遺伝55%、環境45%
スタッフ日記「この親にしてこの子あり?」(8月22日)で書いた、難関大学卒の両親を持つ子どもが、中学で下位25%の成績といこともあるということと整合的だ。
知能や才能があっても、環境(後天的な要素)によって、学業不振になり得る。平たく言うと、「才能があっても勉強しないと良い成績は取れない」ということを示唆する。
この点は「言ってはいけない」の著者(橘玲)と意見が違うところだ。教育の可能性は否定できないのだ。
全てが遺伝で決まるなら、教育の果たしている役割も否定されかねない。義務教育も含め、そんなことをしたら文明以前の世の中に戻ってしまうかもしれない。江戸時代以前も「寺子屋」や「藩校」という『私塾』が教育を担ってきていたから、明治以降の発展があったと考えるのが妥当であろう。
もう一つ福音をお届けする。
外国語:遺伝50%、環境50%
記憶:遺伝56%、環境44%
覚えることが重要な比率を占める「英語」・「社会」・「国語の知識分野」、覚えることも重要な「理科の一部分野」は、一般知能がそれほど高くない人でも結果を出しやすいと言えよう。
少なくとも、「数学」や「音楽」・「スポーツ」よりも努力のし甲斐があろう。
吹奏楽や陸上などといった「部活」より、「勉強」を優先した方が明るい未来を手に入れる可能性が遥かに高いのだ。
ただ「数学」だけは無理な背伸びをしない方がよさそうだ。数学に関しては周辺能力も遺伝の影響が強い。
数学:遺伝87%、環境13%
空間性知能:遺伝70%、環境30%
論理的推論能力:遺伝68%、環境32%
「数学」が(遺伝的に)苦手な人には苦手なりの学習法がある。素直に指導に従えば、無用な苦しみから解放してあげられるのだ。