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三田学院

[2016年9月14日]

部活は「学童保育」なのか?

どうして部活に入るの?続けるの?

と、学力が振るわない生徒や、その保護者に聞くと、次のような回答が多く帰ってくる。

学校が部活動に入ることを推奨(半ば強制)しているから。

では学校に、部活をなぜ推奨または強制しているかと聞くと、

保護者から頼まれるから。

どうも変だ。「鶏か卵か」よりバカげている。

最近、わずかな手当てで部活の顧問をさせられている教員の悲鳴があからさまになった。経験のない部活(種目)を担当させられている教員が約半数にのぼっていることも明らかになった。

文部科学省も、「部活動のない日を週2日以上設けるべきだ」という通達をだしたまま、実態の把握と対策に本腰を入れていない。

どうやら、当事者それぞれに「裏の都合」があるのではないか。

小学校では、中学校ほど部活は実施されていない。というより部活などない小学校が多い。

ここから考えられるのは、中学校における部活は、小学校における「学童保育」の機能を担わされているのではないか、という仮説だ。

保護者としては、仕事から帰るまで、掃除や洗濯の取込みや夕食の支度が整うまで、無償で学校に預かってもらえると助かる。しかもゲームをしたり、スマホに熱中したり、悪い遊びにハマらないようにしてもらえると尚嬉しい、という事情があるのではないか。

また、学校側からすれば、保護者が仕事から帰るまでに、生徒に問題行動を起こされると、警察からの呼び出し、近隣住民からの苦情などに対応しなければならず、実質無償で部活の監督を引き受けるよりも、さらに厄介な事案を抱えたり、意図せず時間的に拘束されたりすることになるから、部活で拘束しておく方がまだマシだという事情があるのではないか。

教育行政としては、部活を制限すると、放課後に生徒を預かる別の手段を検討しなければなくなり、その予算手当てもしなければならないが、妙案も実現性もないのではないか。

生徒からすれば、部活動中と試合や遠征中は、嫌いな勉強はしなくて済む。部活で疲れたと言えば、勉強時間を短く切り上げてもシブシブ許してもらえる。そして何より、部活動中は仲の良い友達と一緒にいられるから楽しい。仲間と楽しくやれて勉強しなくて済むのだから、部活は絶対やめられない。中3になって入試日が目の前に迫っても続けたい。部活の先生から「引退は待ってくれ」と言われればさらに好都合だ。受験勉強もサボれる。部活が理由で成績が下がっても、志望校に合格できなくても、教員も学校も責任を取ってはくれないことは承知の上で、部活は続けたい。なぜなら成績が上がるまで自分を律して勉強する気も自信もないからだ。勉強したくないなら、部活に逃げれば安泰だ。勉強したくないボクとワタシの「安全地帯」だ。ということなのではないか。

仮説が正しければ、冒頭の「鶏か卵か」の議論もスーッと腑に落ちる。

スポーツ推薦などで入試を突破できるなら、部活を続ける積極的な価値はあるかもしれないが、そんな人は進学校へ進むよりも少ない。将来音楽家や芸術家を目指すなら、部活ではレベルが低すぎはしないか。

運動部に入っていなくても体育の授業があるから運動不足になるとは限らない。吹奏楽のように運動部でないのに拘束時間が運動部並みかそれ以上の部活もある。

本業である学業に差しさわりがある可能性があっても、部活に入る人がいるのは、部活が安価で都合のよい「学童保育」(中学生だから「生徒保育」)の機能を果たしているからではないか。あるいは、管理された「遊び場」としての機能だ。

部活が「社会性」を身につけたり、「自己管理能力」を身につける貴重な場だとする意見もあるが、日本における中学や高校の部活が、世界的に見て非常に珍しい制度であることを踏まえると、あやしい意見だ。日本人以外は、社会性や自己管理能力が低いことになる。かなりの暴言だ。他国民に失礼だ。部活に入っている生徒が、そろって高い「社会性」や「自己管理能力」を身につけているだろうか。かなり個人差が大きいはずだ。関係ないのだ。

厳しい練習を乗り越え、勝利に向けて競い合うことが貴重な経験になるという意見もあるが、これこそ部活である必然性はまったくない。

こどもの将来を考えるならば、安易に部活を利用しないことだ。

・入部する前に「成績が基準を満たせなくなったら辞めること」と約束をし、猶予せず必ず実行すること。

・勉強か部活かの判断をこどもに任せると、大多数が部活を選択し勉強しない。

・部活を学童保育的に使うなら、別の選択肢や方法があることも知れ。

部活を頑張る人を応援する塾もあるが、勉強を頑張る人を応援するのが学習塾の本来のあり方だという立場を譲るつもりはない。勉強を頑張るのなら、部活のことをとやかく言うつもりもない。