[2016年9月28日]
自動運転技術というのが注目を集めている。日本の自動車メーカーが量販車に搭載して一般にも認知されることになった。このカメラシステムが面白い。
この量販車に搭載されたカメラは「1眼式」である。生物学的にも工学的にも「1眼式」であると距離の認識ができない。だからほとんどの高等動物は「複数の目」を持っている。光学式の測距儀も2眼式だ。この技術が発表される前までは、自動停止(衝突防止)装置を持つ量販車には「複数のカメラ」が搭載されていた。
ところが、この自動運転技術は「1眼式」でありながら距離を認識できる。説明を聞いて感動した。
「三角関数」を利用しています。
ここで「数学」を使ってきたか、と。つまり「角度」を使って距離を認識していたのだ。数学に目の代わりをさせることに成功した。つまり、「1眼」+「数学」=「2眼」を成し遂げたのだ。
そもそも「数学」は文明とともに発達してきた。というより「数学」をモノにした文明こそが興隆することができた。古代ギリシャがそうであったし、現代の先進工業国がそうだ。
「数学」が使えないと戦争にも勝てない。戦争に負けると、その文明が滅亡の危機に直面する。戦争が善か悪か悪かは別として、数学を使えないと生命が脅かされる。数キロあるいは数十キロ先の敵に砲弾を命中させるには「数学」を使う必要がある。ただランダムに打っているのではない。数学を使って狙って打っているのだ。
学生時代に、元防衛大学で教鞭をふるった教官の「最適化」の授業を受けた。これが目からウロコの授業であった。防衛大学ではないので「戦車」は使わないが、営業車両(レンタカー)の「最適」配置を解くことをひたすら考える授業であった。どうすれば、最も効率的に保有車両を利用できるか、というものだ。
数理モデルを構築し、最適化を行うコンピュータ・プログラムを書き、必要データを入力して解析するというものだ。「最適解なし」ということもある。
コアになるのは「数学」の理論だ。見学した人には、数学の授業にしか見えなかったであろう。この授業を受けて地上戦(戦車を使った地上戦)でも「数学」を使うことを知った。戦車はただ敵の弾を避けて走り回っているのではないのだ。
分野にもよるが、数学の教科書として利用した本の著者にドイツ、オランダ、スウェーデン、ロシアなどの数学者が多かったように思う。歴史を学べば一目瞭然だが、ドイツもロシアも戦車を使った地上戦が強い。「数学力」と「数学力」の戦いだったにちがいない。
数学は社会に出てから使わない、などと言う人がいるが、数学なくして高度に文明化した社会は成り立たないのである。発展もあり得ない。人口減少下の社会における撤退戦もできない。
数学は社会に出てからこそよ使う。だから数学を勉強しなければならないのだ。数学は身近なところで使われている。あなたが気が付いていないだけだ。