[2017年6月8日]
都立中に落ちる子には共通点があると思う。私見を紹介する。
?「都立○○中を受けるんだ!」と『公言』する子
緊張感が全く足らない。容易周到さに欠ける。思慮深くない。公言することによって合格できる訳ではない。役にも立たないことをする性質があるのだから、準備や対策でも無駄が多く成績が伸びない。本番の限られた時間の中で合格答案を書けない。受検するということと、学校説明会に行くだけとの違いが本質的に分かっていない。検査会場に行くことと、合格することの違いも分かっていない。
?公立中でも全然問題ないと考える『親子』
真剣さが全く足らない。困難を乗り越える資質に欠ける。志望校合格への執念がないから、受検勉強はいい加減になり、成績は伸びず、他の受検生に負ける。仮に合格できても、進学校である都立中の高度な授業を負担に感じる。落ちこぼれる。
中には「不合格になって傷つきたくない」という気持ちが強い人もいる。冷静な判断の結果ではなく、自己防衛のために、公立中でも全然問題ないと考えたがる。というより、そう結論づけたがる。かなり『認知バイアス』がかかっていることに気がついていない。あるいは気がついていても強い自己防衛欲求をどうすることもできない。仕方なく、『自己肯定感』と『自己防衛欲求』をすり替える。そもそも極端に自己防衛欲求が強いのなら、始めから受検など検討しない方が良い。しかし、人生いつまでも逃げられない。死ぬまで傷つくことから逃げ続けられるものではない。むしろ「深い挫折こそ人を成長させる」ということも知った方が良いのではないか。「裸の王様」にでもなりたいのだろうか。
あるいは、『自己肯定感』を『優越感』と間違えている人もいる。優越感はともすれば排他的な感情である。自分が優れていると感じることは、ある人は自分より劣っていると蔑むこととほぼ同義だ。
『自己肯定感』とは、自分ができることも、できないことも素直に認めたうえで、自分の本質的な存在意義を肯定的に感じながら、クラスメートや他人の存在も尊重しつつ、積極的にありのままの自己を受け入れることができる気持ちのことだ。だから『自己肯定感』の備わった人は、友達関係も教師や大人とも良好な関係が築ける。
『優越感』の塊のような人は人間関係がスムーズにいかない。また、優越感が保てなくなった時、危険な行動に走りやすい。つまり『自己肯定感』が低い。この点でも『優越感』は『自己肯定感』とは全く異質なものだ。
まだ記憶に残っていると思うが、かつて東京の都心部でトラックの暴走と刃物で大量無差別殺人を犯した若者がいた。中学まで成績優秀で県内屈指の進学校に進みながら挫折し、こうなったのは社会のせいだと思い込み、その社会を破壊しようとした。
名門進学高出身であることとともに、親が学校教員であったことも衝撃的に受け止められた。学校教員であった親の助けで中学まで『優越感』を維持できたものの、高校に入って優等生の中に囲まれると、『優越感』はもろくも崩れ去った。『自己肯定感』と『優越感』を取り違え、失敗しないように、傷つかないようにと、過保護に育てててしまうと、確かな『自己肯定感』が醸成されず、反社会的な人間を育て上げてしまうのだ。
米国のある研究に、『自己肯定感』を育むのに最も重要な時期は、就学前だという報告がある。現場の実感としても、遅くとも小3頃までだ。小学校高学年になって『自己肯定感』を育てようなどといっても手遅れ感がある。小5や小6生に「やればできるよ」などとおだてても、褒めても、白けた表情をするだけだ。時すでに遅しだ。
そもそも、小学校高学年になったら、『自己肯定感』を基礎にして、「課題を自分の力で乗り越えていけるような力や自信」が育っていてしかるべき時期だ。都立中の適性検査は、ここまでがしっかりできていないと攻略できない。この時期から伸びる子は、厳しい指導であっても食らいついてくる子だ。あきらめず、へこたれず、しぶとく「やり切る子」だ。しかも、その中に「素直さが光る」子だ。過保護に育てられ、自信も、成績も、お菓子も何でも親や周りから与えられるのが当たり前で、傷ついたり失敗したりすることを過度に怖れ、困難から逃げ回るような子ではない。
小学校高学年や中学生や高校生になってから『自己肯定感』を、などと言っても遅い。自己肯定感を育むなら幼児期と低学年の時期だ。小3や小4では完成していなければならない。このことは「できる子にする!できる子になる!」も参考にしてほしい。
?部活、習い事・稽古事、息抜き、遊び、テレビやゲーム、スマホ、行事や旅行、家族団らんなどを、勉強より優先する『親子』
これは都立中に限ったことではない。私立中受験でも、高校受験でも、大学受験でも失敗する。
そもそも、勉強以外を優先していることに気がついていない親子も多い。中学生の場合、なぜ学業不振なのかを分析できていない親子がほとんどだ。小学生の場合、簡単な学習内容だから何とかなっているということに気がついていない場合がほとんどだ。
部活や習い事をしながら良好な成績を残せるのは、才能に恵まれた一部の人たちだけだ。ごく限られた割合でしか存在しない。一般論ではないのだ。自分にそのような才能があると思っているのだろうか。
中学生には「部活が本業で、学業が副業」のようになっている人がいる。中学校生活は「学業が本業で、部活は副業でもなく、ただのオマケ」だ。だから通知表でも成績はつかない。公立高校の入試では報告書の点数にも含まれない。中学生活で最も求められていることは「学業にいそしむこと」だ。どう転んでも部活ではない。間違えてはいけない。学業不振の原因が部活疲れなら、直ちに部活を辞めるか、負担の軽減が確実な部活へ移籍すべきだ。本末転倒はいけない。
部活に逃げて学業をおろそかにした人を、実質無試験で合格させ入学させる低偏差値の私立高校が、手ぐすね引いて待ち構えている。まともな高校にはどこにも行けないことを知っているから、「部活で加点しますよ!」と甘い言葉で誘う。部活に逃げていた人は甘い誘惑に弱い。そこを知っていて、ちゃっかりとお客さんとして囲い込む。高額な初年度納入金を払ってくれた後、あまりに低学力で問題行動を起こす人の多くは、高1末までにお払い箱となる。高校中退率が高いのは、こうした高校だ。そこへ進むしかなかった高校生だ。
話は都立中に戻るが、入試日が迫り合格できそうにないことに気がついた時、不合格が判明した時になって、始めて後悔する。ここで反省できる人はその後の人生を挽回できる。
しかし、中には不合格になっても反省しない人が多い。不合格を自然災害のようにしか受けとめない人だ。つまり自分の行いの報いなのだとは理解できない。よって不合格の原因を自分以外に求めたがる。「倍率が高かったから」ならまだかわいい方だ。塾や他人のせいにする人もいるので要注意だ。
真剣に取り組んでいこなかったから、すぐに立ち直ろうとすることができる。すぐに次の目標とやらに向かって進む(ふりをする)ことができる。
これを見抜いた上で都立中の不合格者を取り込む戦略の塾もある。次は都立高受検だと誘い込む。罠だと気づかずホイホイ入る。また高校受験で失敗する。大学受験も上手く行かない。情けない。
応用確率論の世界では、同じことは繰返し起こるというのが常識だ。交通事故を起こす人は何度も起こす。だから自動車保険料が高くなる。保険数理では基本のキだ。交通事故を起こさない人は保険料が下がる。多くの人は生涯に一度も交通事故を起こさない。しかし、交通事故を起こす人は繰返し何度も起こすのだ。ちょっとやそっとの反省では、また同じ過ちを犯し続けてしまうのだ。