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三田学院

[2017年6月13日]

都立中 作文デキて 当たり前

都立中合格者のプロフィールをわかり易くご紹介しよう。

まず、適性検査?。いわゆる適性作文だ。

この適性作文は、合格するためには書けて当たり前、得点できてあたり前だと思っていただきたい。難易度により多少の違いはあるが、どこも合格者は得点できている。適性作文が苦手なら、他がズバ抜けて高得点でないと合格は難しい。両国は適性検査?の「読解問題」も高得点でないと合格できない。合格者の読解力は都立中の中で最高レベルだ。国語の両国らしい。今は英語の両国とも呼ばれる。適性検査?は独自問題で、最も読解力が問われる問題が出題される。

・適性作文力:小石川>大泉>武蔵>白鴎

・適性総合力:小石川>・・>武蔵>大泉>両国


*>・・>は、力の開きが大きいことを表す。

次に適性社会も得点できて当たり前だと思ってほしい。これも得点できないようだと合格はない。合格者はみんなデキている。

勝敗を分けているのが、適性算数適性理科だ。難関都立中ほど合格者の得点力が高い。小石川、武蔵、大泉、両国だ。この観点では小石川と武蔵の合格者はズバ抜けている。

・適性算数力:小石川>・・>武蔵>・・>大泉>富士>両国>九段>・・>・・>桜修館>白鴎

・適性理科力:小石川>・・>武蔵>・・>両国>大泉>・・>九段>富士>白鴎>桜修館


算数力と理科力に関しては例外がある。桜修館白鴎だ。合格者の算数と理科のデキがあまりよくない。でも合格できている。適性検査?を実施していないからだ。適性作文と適性社会で、適性算数と適性理科をカバーできるのだ

算数力とは逆に、合格者の適性社会の得点力が高い。適性社会は地理や歴史の知識モノは出題されない。表やグラフ、地図や年表などが提示されてその背景を分析するような出題がなされる。つまりデータ解析力や論理的推論力が必要だ。算数の難問は苦手でも、算数の基本がしっかりできていると解答しやすい。桜修館白鴎の合格者は算数の力は高くはないため適性算数の難問では得点できないが、算数的な論理的思考方の基本はしっかりできているので、つまり算数の基礎は他よりもしっかり取り組んでいたので、適性社会は得点できたということだろう。ただし、その程度では、算数と理科には全く通用せず、3科型と比べて壊滅的な結果となった。

・適性社会力:桜修館>小石川>白鴎>両国=大泉=九段>富士>武蔵

武蔵の適性社会力の低さが気になる。適性算数、適性理科、適性作文の攻略で手いっぱいで、適性社会の対策まで余裕がなかったのか。または、合格するために適性社会の攻略は必要ないと判断したのか。あるいは、武蔵が地盤とする多摩地区で強い都立中受検対策塾の適性社会指導力が低いのだろうか。小石川との差が開いてしまった原因はここにもありそうだ。ただし、適性社会力の開きは、適性算数や適性理科ほどない。トップ校とボトム校に大きな差はないことを申し添える。順位をつければこうなるということだ。

ところで、次回の入試から白鴎も適性検査?を追加する。他の都立中に比べ算数がさほど得意でなくても入学できてしまうことに、ついに業を煮やしたのだろう。この点で、桜修館の今後の動向が気になる。

算数力がズバ抜けていないと、将来の大学入試で難関大学を狙えない。特に国立大学が狙えない。国立大学の合格実績が貧弱だと、都の特別予算が削減されることにつながりかねない。都立の中高一貫校のリストから外されることになるかもしれない。

だから、国立大学を狙える人材を選抜できる適性検査でなければならない。白鴎の決断は至極当然だ。むしろ遅すぎるくらいだ。両国も大泉も富士も、3年前から適性検査?を実施している。適性検査?は独自問題だ。合格させたい人材に合わせて作問できる。望ましい生徒をより適切に選べる。

都区部全体としての例外がある。東京大学教育学部付属だ。合格者の算数力は、どの都立中にもまったく及ばない。算数の難問を解けない生徒でも合格できる。そもそも大学進学実績を目標としていないので、同じ土俵で論じるべきではないかもしれない。出題内容も都立中とは全然違う。小学校で習う応用問題程度をほぼ満点できるなら合格できる。しかも国語も社会も理科もその程度だ。ただし、適性検査の本試験が簡単なので、どれもほぼ満点を取れないと合格が怪しくなる。

適性検査だから甘い受験勉強でも大丈夫だろうと、根拠もなくナメてかかると落ちる。無責任な評論家やママ友にだまされると落ちる。勝手な思い込みで手を抜くと落ちる。特に、通知表が「よくできる」ばかりのなのに、そのことに安心し、実力をつけないでいると落ちる。本番時点で実力が備わっていない人は落ちる。

競争試験なので当たり前だ。英検や漢検にように、一定の点数以上は全員合格というモノではない。この点をよくわかっていない人がいる。まあ、高校入試ですら同じような勘違いをしている人がいるから、中学入試に限った話ではない

競争試験では準備の度合いが、定員の範囲内に入るようでなければ落ちる。みんなと同じ努力をしていたら落ちる。合格定員に入る程度に、他の人よりも努力をしないと落ちる。

偏差値がわかり易い。人と同じ努力をしていたら偏差値は上がらない。自分で勝手に決めた勉強量しか実行しない人は、その勉強量が人並み以下なら偏差値が下がる。なぜ勉強しているのに偏差値が下がるのか、それが分からない人は見込みがない。そもそも受験勉強とは何かを分かっていない。

受験競争が激化とともに「偏差値教育」などと呼ばれ、「偏差値」が悪者扱いされるようになった。しかし、偏差値は海外の教育現場でも幅広く使われており、日本固有のことではない。日本では激しく忌み嫌う人がいるのはなぜだろう。

偏差値は客観的な尺度である。数理統計である。「えこひいき」しない。アナタの努力とその成果を、相対的に測る客観的な尺度である。問題の難易度や得点率が変動するテストの「素点」では、学力を正確に測定できない。「偏差値」はこの弱点を解消した。「偏差値」自体より、偏差値を正しく理解できないことが、正しく使えないことが、「偏差値教育」などと呼んで批判するなる人がかかえているコンプレックスなのではないか。

「合格するには合格できるほどの勉強をするしかない」ということが不動の真理だ。それは、教科を根本的にマスターするための絶対的な勉強量と、競い合う他の受検生に競り勝つための追加的で相対的な勉強量に分けられる。

合格に必要な勉強量=教科理解に必要な絶対的な勉強量+競争に勝つための相対的な勉強量

もちろん、そもそもの資質による個人差はある。資質に恵まれていない人はより努力が必要だ。しかし、絶対的な勉強量はほぼ決まっている相対的な勉強量も志望校によってほぼ一意に決まる。この合計の勉強量を達成できない人は合格できない。達成すれば合格できる。簡単な方程式だが、理解できない人が多い。努力はせずに夢ばかり立派な人だ。

資質に恵まれない人ほど絶対的な勉強量が不足しがちだ。それなのに相対的な勉強量ばかりが気になるというのがお決まりだ。深層心理では「勉強したくない、勉強を少なくすませたい」と考えているのだ。自分自身も、保護者も、協力者も、指導者もだましているのだ。保護者も自分自身をだましていたりする。親子そろって自分をだましていたりする。なかなか見抜くのは難しいが、自分をだますことが限界になると変調をきたすので判明する。直前対策期になって判明することも多い。直前期でなければストレス・テストでも判明することがある。一番わかり易いのは、宿題の提出が遅れるか、出てこないことだ。つまり合格指導に従わなくなることだ。

そんなわが子をかばう保護者もいる。「ご自宅での学習状況はいかがですか」と心配して問い合わせても、なぜか「しっかりやっています」と回答が返ってくる。課題の提出が滞っていることや、教室での理解の進捗が芳しくないことを伝えると、「わが子の好きにやらせてください」などと開き直ったりする。親子で合格指導に背く。「合格から遠ざかりますよ」と言っても不機嫌になるだけで反省しない。こういう親子に限って、「どうだった?」と、ママ友やクラスメートから入試結果を聞かれると、『塾のせいで不合格になった』かのようなことを言う。自己防衛が最優先だ。迷惑をふりまいてでも自己防衛する。自己防衛のためなら真実もねじ曲げる

そういう人は、そういう親子は合格できないから、都立中に入学すれば気をもむ必要はなくなる。安心して学校生活を送れる。安心してハイレベルな授業を受けることができる。余計なことは気にせずに、優秀なクラスメートと競い合い、高め合うことができる。

適性検査入試を突破できる人になろう。その志(こころざし)があれば、小学校生活も悔いのないモノになるハズだ。