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三田学院

[2017年6月30日]

学習介護サービス

老人介護という言葉がある。

しかし、介護が必要なのは老人に限らない。小学生や中学生に介護が必要な層がいる。

ここで論点とする、彼らが必要としている介護というのは、食事の摂取や入浴支援などのことではない。介護が必要とされているのは学習である。介護なしに学習できない層が、いつのまにか増殖しているのだ。

何が原因なのか。核家族化、保護者のモンスター化、ゲームやスマホの普及などが思いつく。保護者の学歴(学校歴)の子への連鎖も有力候補だ。ただ、ここでは原因について考えたいのではない。

学習するために介護が必要な層が存在することについて考えてみたいのだ。

そもそも、学習というものは自力で行うものだ。学習内容が「しつけ」の領域を出ない小学校2〜3年生くらいまでは、自立のために保護者の「介添え」が必要だろう。しかし、小学校中学年からは自力で学習や勉学に取り組めるようにならないと、学力は伸びて行かない。

古今東西、学習や勉学というものは、指導者のアドバイスをもらいながらも、自ら究めるのが基本スタイルである。義務教育学校も、この原則と整合的だ。高校以上では自ら究められない人は学習内容を十分に理解し消化することができない。大学以上では、課題発見から解決まで、自立してでできることが求められる。

学習介護が必要な層が顕在化したのは、個別指導を謳う学習塾がメジャーになる時期とほぼ一致しているように思われる。しかし、ここで言う「個別指導」とは「人力介護型個別指導」のことだ。学力不振児をおもな対象とする「低学力層向け個別指導」のことだ。

個別指導もいろいろあり、おもに低学力層向けの「人力介護型個別指導」から「高学力層向ハイレベル個別指導」「自立学習型個別指導」まで幅広い。

ここで問題意識を感じるのは、「人力介護型個別指導」の店舗数の増加である。それは学習介護が必要な小中高校生が数多く存在していることと同義であるからだ。

全国チェーン展開で有名な、ある「人力介護型個別指導」塾大手の教室は、低学力層の巣窟のようになっている。

数々の学習塾を渡り歩いた末に、あるいは最初の塾として直接に、「人力介護型個別指導」にたどり着いた低学力層は、あたかも蟻地獄に落ちたかのように、そこから抜け出せなくなる。そもそも低学力であるが故なのか、自学する力がない故なのか、とにかく抜けだせない。それは、いつまでも学力が改善しないことを意味している。

生きていく力を育成すべき時期に、介護的な育て方をするとどうなるのか。自分では何もできないような大人に育ててしまうことにならないか。水も、食べ物も、衣服も、住み家も、学力も、学歴も、就職先も、生活費も、何を手に入れるにも介護が必要な大人になってしまわないか。

教育の基本目標の柱の一つは『自立』である。自立できる力をつけさせることである。

幼いうちから学習介護していると、教育介護していると、自立できない大人に育ててしまうことになる。

それでもアナタは、わが子を「人力介護型個別指導」塾に通わせることに疑問をもたないのだろうか。

すでに試合を放棄した人たちの「たまり場」だということに、気がついていないのだろうか。

わが子を蟻地獄へ連れて行く前に、あるいは、わが子が蟻地獄へ行くと言い出す前に、保護者としてすべきことがあったのではないか。

それとも、わが子がまだ幼かったころから続けてきた、「保護者としての不作為」への「つぐない」として、あるいは「禊(みそぎ)」として、要学習介護者のたまり場」へ連れて行かざるを得なかったのだろうか。

もしくは、その意識さえもなく、不作為を続ける中で、そこに辿り着いてしまっていたのだろうか。