パソコン版を見る

三田学院

[2017年8月14日]

パリの憂鬱

この夏、久しぶりにパリを訪れた。20代に初めて訪れてから4回目、前回からは約10年ぶりとなる。

パリの魅力は健在だった。しかし負の部分も健在だった。

物乞い、浮浪者、スリ。いずれもパリ名物だ。

滞在したホテルの建物の陰では、夜になると「浮浪者」が寝場所を確保しだす。

食品スーパー、ターミナル駅、観光施設の前には、必ずと言っていいほど「物乞い」が居座っている。

地下鉄では、「スリ」の常習者が貴重品が入っていそうなポケットをまさぐってくる。

20年以上前と変わらぬ風景だ。

ただ違うことがあった。待ち行く人の外国人比率の上昇だ。ここで、外国人とは、フランス国籍を持っていないひとのことではない。フランス以外にルーツを持つ人のことだ。

地下鉄に乗っていると、乗客の過半数が外国人などということは珍しくない。多くは旧植民地からの移民や移民の子たちだ。パリは確実にパリっ子のモノではなくなりつつあるのだ。

フランスの出生率が向上したことが話題だが、詳しい調査結果によれば、純粋なフランス人の出生率は横ばいのままだ。

増えているのは、フランス人と外国人の間に生まれた子だ。ここで言うフランス人は、多くがフランス以外にルーツを持ちながらフランス国籍を取得したフランス人だ。先ほど述べたように、フランス国籍の外国人だ。また、ここでの外国人とは、多くが彼らと同じルーツを持つ外国人だ。彼らの間に生まれた子がフランス人として増加しているのだ。多くはイスラム教徒だ。

これがフランスの出生率を引き上げている本当の理由だ。事実婚を認めたり、子育てしやすい環境を整備したなどといった、政策の結果ではない。まして、移民の増加による直接的な影響でもない。

これを好しとするか否かを議論するつもりはない。

ただ、建物や文化や芸術がそのままであっても、そこを行きかう人々の構成はドンドン変遷してきているのだ。初めてパリを訪れる人には分からないかもしれない。

しかし、すべては移り行くのだ。パリも移り行くのだ。