[2017年8月18日]
ミスター阪神タイガースの掛布選手。保護者世代なら知っている人も多いはず。
この掛布選手の背番号は「31」。これは父親の「人の3倍練習しろ。そうすれば1番になれる。」という教えから選ばれたというエピソードがある。真偽のほどは定かではないが、そう聞いて納得する人も多いだろう。
「人並みの努力」では、「人並みの力」しか身につかない。当たり前の話しであるが、これを教訓にして行動でききる人は多くない。
「人並みの努力」なら、人並みの成果かしか上がらず、現状維持、がせいぜいだ。
偏差値だと50前後がせいぜいだ。
偏差値60以上、まして偏差値65以上は、「人並みの努力」では達成できない。
偏差値50でも満足いく人がいるかもしれない。しかし、多くはもっと良い成績を、もっと大幅な成績アップを望んでいるのではないか。
この「人並みの努力」の意味するところが、深い。
夏休みに毎日4時間勉強した中3高校受験生がいたとしよう。その人は部活を引退するまで、定期テスト前以外は、ほぼ「ノー勉」で、部活引退後に初めて勉強らしき勉強をしたとする。初めてのことなので、これでも相当頑張ったと自己評価する。少なくとも「人並み」の努力をしたような気になる。そして、成績が大幅に改善することを期待する。
Q:どんな結果が待ち受けているか。
選択肢A:成績が「大幅にアップ」したと予想した人は、かなり甘い。甘すぎる。受験で大失敗するタイプだ。
選択肢B:成績が「少しアップ」したと予想した人も、これまた甘い。受験で大失敗まではいかなくても、満足できない結果に終わる人だ。多くが、この予想を選ぶかもしれない。
選択肢C:成績が「横ばい」と予想した人は、状況を見極める力を少しは持っている。受験で大失敗するリスクは少ない。しかし、成功する人ではない。
選択肢D:成績が「下がった」と予測した人は、見込みがある。受験学年の夏休みに、1日4時間しか勉強しないような失態はおかさないだろう。
結果は、良くて「横ばい」、悪くて「大幅な下落」だ。
なぜか、部活引退後の中3の夏となれば、ほとんどの人が真剣に受験勉強に取り組む。多い人なら1日14時間以上、少ない人でも1日6時間くらいは勉強する。学校の授業が休みなのだから、1日6時間やって、はじめて「ノー勉」と同じ1日あたりの勉強時間になる。
中3高校受験生なら、ほとんどの人が、どこかの塾の夏期講習に参加するだろう。夏期講習は、塾によって差はあるだろうが、1日8時間くらいが平均的な夏期講習の勉強時間ではないだろうか。これに予習復習や宿題の時間が加算される。この時期に1日の勉強時間が12時間以上と言うのは、珍しいどころか、当たり前だ。
となると、1日4時間の勉強時間は、平均はおろか、少なめの人よりもかなり少ない。こうなると偏差値がアップするどころか、ダウンするのがオチだ。
1日4時間勉強した分の学力は、もちろんつくだろうが、ライバルである他の受験生はもっと勉強しているから、もっとついている。受験は競争試験であるし、偏差値は平均点を偏差値50に読み替えるから、成績は下がる。これが受験の基本のキだ。
これを知らずに、中学生活の最後の夏休みを、甘い取り組みで過ごしてしまうと、取り返しがつかなくなる。
もし、夏休みにおける中3受験生の平均学習時間が8時間だったとすると、1日当たり4時間の勉強時間不足となり、45日間の合計は180時間になる。
9月以降の平均学校外学習時間が1日5時間だとすると、学校外で1日6時間勉強しても、取り返すのに3ヵ月かかる。土日も休まず勉強して3ヶ月かかる。師走になってやっと追いつく。
ところが、夏休みに1日4時間しか勉強できなかった人が、学校授業がある日に、1日6時間の勉強などまずできない。1日3時間くらいが関の山ではないだろうか。土日は4時間程度にとどまるのではいか。師走には、さらに引き離されていることになる。
1日12時間勉強した中3受験生との差は、1日8時間、45日で360時間だ。学校授業が始まってから取り返すのはほぼ無理だ。勝負ありとなる。
ますます、学力の差は広がる。さらに、危機的状況になる。
挽回のチャンスは、もはや冬期講習しか残されていない。しかし冬期講習は夏期講習に比べて極端に期間が短い。しかも、ライバルたちもエンジン全開で、ほぼおのおのの限界まで取り組んでいるから、どうあがいても挽回は難しい。
夏で勝負がほぼ決まるのは、これが理由だ。
夏に広がる学力の差とは、このことだ。
中2以下の人も、他人事とは思わない方が良い。中1、中2でも同じことが言えるのだ。
中1、中2の夏にサボった人には、相応のツケが待っている。そのような人は、小学校時代もサボっていただろうから、サボらず取り組んできた人と累積勉強時間の差は、天文学的な時間数になっているのではないか。
掛布の父:「人の3倍練習しろ。そうすれば(日本で)1番になれる。」
イチロー:「人の5倍練習しろ。そうすれば(世界で)1番になれる。」
三田学院:「7回練習しろ。そうすれば1番になれる。」
最低3周!
最低でも掛布、それができたらイチロー、究極の目標は三田学院!
1周で理解しようなんて考えが甘い。1回の授業で完全に理解できる人はいない。天才だけだ。アナタは自分を天才だと思っているのか?凡人の域を出ない人は、3周やって、やっとなんとかわかるようになる。5周以上やれば、かなりわかるようになる。7周すればほぼ完ぺきにわかる。エッと思う人、やってみればわかる。
やり方は指導することでしか身につかない。伝えるのではなく指導する。教えるのではなく指導する。伝えればできるというものではない。教えて理解できるものでもない。そんなに簡単なことではない。伝えたり、教えたりすることでは、身につかない。だから、徹底して指導する。だから、継続して指導する。
それでも身につかない人もいる。少なくとも10人に1人はいる。標本数が少なければ、2人に1人ということもある。中学生なら「2」以下のある人、小学生なら「もう少し」のある人は、この比率が有意に高まる。現在だけでなく、過去にも、「2」や「もう少し」があるか否かが、閾値(しきいち)となる。
オール3の人は、オール4になりたい。
オール4の人は、オール5になりたい。
そのために、凡人の域を脱出したければ「掛布の31」、自他ともに認める「勉強ができる子」の領域になりたければ「イチローの51」、神の領域に近づきたいなら「三田学院の71」だ。
三田学院の学習システムが、授業や演習問題ごとに、アナタが学んだ『回数』と『理解度』を表示するのは、これが理由の一つだ。
ヤル気があるかどうかではない。ヤル気になるかどうかでもない。
ヤル気があっても、ヤレなければ意味がない。
ヤル気があるだけでは、ヤレない。
ヤル気があっても、ヤリ方が間違っていると、ヤレない。
ヤル気があるだけでは、勉強を実行できない。
ヤル気と実行力は、実はまったく別のものだ。
ヤレないと、学力はつかない。
ヤル気がなくても、ヤレば、学力がつく。
適切なヤリ方に従ってヤレば、学力がつく。
指導に従ってヤレば、学力がつく。
ヤリ方を間違うと、ヤレないし、学力がつかない。
ヤル気があるかどうかではない。指導に従うかどうかだ。
指導に従う「覚悟」があるかどうかだ。
指導に従って「実行」するかどうかだ。
これも、やってみればわかる。続けてみればわかる。
困難な課題に挑戦するときほど、鮮明に違いがわかる。
ヤル気だけで、どうにかなることではない。
ヤリ方を指導しても、実行しなければ結果が出ない。継続できなければ結果がでない。
結果が出るまで続けられない人は、何事も成功しない。
スポーツも学業も同じだ。
「三日坊主」と言われるが、3ヶ月坊主、6ヶ月坊主では話にならない。
「石の上にも三年」ということわざがあるのは意味深長だ。しかし、指導に真摯に向きあえれば、変化を実感するのに、そんなに長い月日はかからない。
ただし、根本治療には鎮痛剤のような即効性はないということを理解しなければならない。自らも学業に真摯に向かい合った過去を持つ保護者であれば、言われなくてもわかることだろう。ところが、理解できている保護者は少数派だ。理解できない人の方が多数派だ。多数派だからといって正しいわけではない。
対処療法だと薬が切れれば効果がなくなる。また薬を飲まなければならない。飲み続けると副作用も心配だ。
根本治療が大切だ。根本治療こそ効果が期待できる。ただし「石の上にも三年」に近い『覚悟』が必要だ。覚悟がないなら、鎮痛剤を飲み続けて、痛みをごまかすしかない。根本治癒や快復は期待できないから、次から次へと違う鎮痛剤を求めて彷徨うことになる。最後は違う強い刺激で痛みをごまかすしかなくなる。そうなれば、もはや勉強の道で成功することはない。