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三田学院

[2017年9月29日]

希望と絶望

希望という言葉が流行りそうだ。

しかし、わざわざ「希望」と唱えるからには、そこに「絶望」があるから、なのかもしれない。

衆議院議会が解散した。

なぜ、このタイミングかと戸惑う有権者も多いのではないか。

・与党の選挙戦が有利に展開するから。
・与党の抱える問題が追及されなくなるから。

といった報道が目につく。

ところが、個人的には全く違う背景があるのではないかと心配している。

・米国による北朝鮮への軍事攻撃の時期について機密情報を得たから。

何かの証拠を握っているわけではない。個人的にいろいろと考えみたが、これが一番腑に落ちる。最高水準の機密情報は50年過ぎないと公開されないから確認しようがない。しかし、与党議員の中にも解散総選挙に難色を示す人が少なからずいた。一般報道の理由づけでは因果関係を説明するには弱い。機密情報は内閣の一部の中枢にしか入らないものだ。可能性は否定できない。

朝鮮半島を舞台に、極東アジアで有事となれば、国政選挙などやっていられなくなる。与党としては、内閣としては、そうしたことは有事が勃発する前に片づけておきたい。そうしなければ、国家の安全保障に専念できない。それで急いで解散総選挙に打って出た、という見方だ。

与党としては究極の選択だが、選挙に負けたら負けたで、有事のごたごたには今の野党が対応することになるから、それはそれで良い。東日本大震災の時のように、次の総選挙で追い風になる可能性も高い。勝ったら勝ったで、この国際情勢の危機対応に専念できる。

関心をもっているのは選挙戦の行方ではない。有事となれば、受験どころではないという社会風潮となりかねない。つまり、受験生が犠牲になりかねないということだ。このことを心配しているのだ。

想定外を完全に排除することはできない。

選挙後が心配だ。もっとヒドイことが起こるかもしれない。

的はずれな推測に終わることを祈る。