[2017年10月11日]
狐(きつね)と葡萄(ぶどう)
イソップの有名な寓話の一つだ。
腹をすかせた狐が、おいしそうな葡萄を見つける。ところが、葡萄はみな高い所に実っていて、何度も飛び上がってみても届かず、口にすることができない。すると狐は、この葡萄はすっぱくて美味しくないので、食べてなどやるものか、と言い捨て、その場を立ち去る。
フロイトの心理学では、自己防衛や合理化の例として紹介される。米国の著名な教育心理学者フィリップ・ジンバルドー氏の最新刊で「男子劣化社会」(Man dis connected)にも引用されている。
膨れ上がる自己愛、行き過ぎた自己肯定は、自尊心という大魔王が君臨する妄想世界に、人の心を閉じ込める。それは現実逃避でしかない。大いなる落胆だけが待ち受ける絶望的な世界だ。
なぜ、ここで紹介するのか?
適切な自己肯定は人を成長させる。しかし、不適切な自己肯定には気をつけなければならないと、お伝えしたかったからだ。
親は誰しも、わが子を過保護に育てているなどとは思わないだろう。しかし、核家族化や都市化が進む現代社会においては、近所や友人の同年代の子どもを観察する機会が少なく、それが過保護かどうかを確認することが難しくなっている。気がつかないうちに、過保護に育ててしまっているケースが多いのではないだろうか。
過保護に育った子は、本格的な試練に遭遇すると異変をきたす。そう、イソップ寓話の狐のような行動をするのだ。
子にとって初めての本格的な試練、それは往々にして「受験」であろう。
頑張っても頑張っても届かない。しかし、すでに膨れ上がってしまっている自己愛が、これまでの目標を「すっぱい葡萄」だと結論づける。敵前逃亡する自分を正当化しようとする。現実を直視すると心の平安を維持できない。妄想の世界に閉じこもるしかなくなる。
挑戦はそこで頓挫する。しかし奇跡など起こらないから、その先には「大いなる落胆」しかない。
教育心理学者フィリップ・ジンバルドー氏は、こうして社会から孤立し脱落していく現代の若者を憂う。
「受験」における不適切な自己肯定、それはなぜ起こるのか?
最大の原因は勉強の先送りだ。勉強の先送りを容認してきた保護者の放任や過保護だ。
・ゲーム、スマホ、キャラクター・グッズ
・習い事、稽古事、部活
・レジャー、旅行、行事、外食
・まだ幼いからと適切な訓練をしないこと
・傷つかないようにと挑戦させないこと
・受験勉強は短い期間だけ頑張らせるということ
・子育ても受験勉強も外部に丸投げにすること
過保護や放任で、必要な勉強や適切な訓練を先送りした先に何が待っているのか?
「イソップの狐(きつね)」と化したわが子だ。
先送りの代償はあまりにも大きい。
頑張れない、挑戦できない、逃げる。
挙句の果てに、真実を歪曲し、悪いのは自分ではないと責任を転嫁する。
親の過剰な自己愛が、子の過剰な自己愛を育てる。
現実世界は、そんなアナタを、そんなアナタの子を、歓迎してはくれない。
大魔王が君臨する妄想世界が、アナタとアナタの子の終の棲家だ。