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三田学院

[2017年12月18日]

スタートラインは同じ?子の頑張り次第?

?スタート・ラインは同じですから!
?子の頑張り次第ですから!


大手塾のセールス・トークは巧みだ。営業担当者からよく聞く言葉だそうだ。このトークに乗せられる保護者は後を絶たないようだ。オウム返しのように他の人の前でそう語る保護者さえいる。しかし、正しくない。

・すべての受験生の「スタート・ラインは同じではない」
・合格か不合格かは「子の頑張り次第で決まるのではない」


もし、??が正しければ、成績のバラツキは、すべて「子の頑張り」に原因があることになり、保護者にも大手塾にも、子の成績についての責任がないということになる。無責任な保護者にとっても、無責任な大手塾にとっても、きわめて都合が良い言葉だ。受験生だけが責められる構図だ。

ところが、?スタート・ライン、それは始める時期というより、むしろ始めたときの学力や能力を指しているが、それは同じではない。中学受験の準備をする平均的な時期の新小4や、高校受験の準備を始める平均的な時期の新中1では、すでに大きな学力差が開いている。これは、学校教員でも、塾講師でも、家庭教師でも、『暗黙の知』として認識されているが、保護者の中にも気がついている人は多いはずだ。

すでに大きな学力差が開いているから、同じ新小4や新中1で受験対策を始めたとしても、「スタート・ラインは同じではない」

次に、?の「子の頑張り次第」だが、これも正しくない。カラープリント・テストで毎回100点を取る児童Aと、毎回70〜80点の児童Bがいたとしよう。ともに同じ時間数の家庭学習を毎日続けたとしたら、その後に児童Aと児童Bの成績は同じになるであろうか?

ならない!

子の頑張り次第で、全てが解決するものではない。もしろ、子の頑張りに任せていると、知らぬ間に格差は拡大し、埋めることができなくなってしまう。

両者の成績差を埋める、もっとも簡単な解決方法は、「成績が振るわない子ほど、そしてその保護者も、より多く頑張る」ことだ。わかり易く書けば以下のようになろう。

児童Aが1時間でマスターできる内容を、児童Bはマスターするのに3時間かかるなら、児童Bは3時間の努力をするしかない。つまり、成績が振るわない人ほど学習時間をより多く確保する必要があるということだ。しかし、これができない。むしろ、児童Bの学習時間の方が児童Aより少ないことがほとんどだ。

学力格差はこのようにして広がって行く。学力の低い児童生徒ほど学習時間が恒常的に少ない。学力の低い児童生徒の保護者ほど、教育費を節約しようとする。つまり、学力の低い児童生徒の保護者ほど少ない授業時間数、少ない授業料で、高い学習効果を上げようと志向する。しかし、それができるなら、成績が高い人はもっと成績が良くなる訳だから、実現するわけがない。このようにして、同じ塾の中であっても、学力格差は開いていく。

学力の低い児童生徒ほど、それを克服するためには、より多くの学習時間と、より多くの学校外学習費用が必要になる。

1回聞いて理解できる人と、3回聞いても理解できず、より平易な指導が必要な人が、同じ学習時間で同じ目標を達成することはできない。塾も家庭教師も、3回聞いいて理解できない人を、1回聞いて理解できる人と、同じ授業時間数や同じ料金で、同じ到達到達目標まで指導することはできない。

学力アップの秘訣があったとしても、成績優秀者も使えるから、結局のところ学力格差は解消しない。もし秘訣があるなら、成績優秀者の保護者や児童生徒ほど、秘訣をより早く取り入れて効果を上げるから、より格差は拡大する。そもそも、アナタの子だけが独占的に利用できる秘訣などない。これぞ平等だ。出遅れ組や低学力組は、相応の対価を支払わないと、その差を解消することはできない。

子の頑張り次第ではない、ということだ。

子が頑張る前に、親の正しい頑張りが必要なのだ

底辺私立学校に、ブランド高級外国車で、ちょくちょく子を送り届けている親の姿を見ると、考えさせられてしまう。しばしば遅刻寸前だから、子は学校にすら行きたくないのかもしれない。

子の教育より、ブランド高級外車に頑張る保護者は、子の学力で、それ相応の結果に甘んじなければならないということではないか。

そして何より、そうした親子が『通い放題』の真価を理解することはないであろう。