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三田学院

[2018年1月24日]

【都立中】実は最も大切な「国語力」

昨今の国語力の低下は現場感覚としてかなり深刻である。

・日本人だから、自分は日本語が上手に使える
・日本人であれば、日本語の運用能力には大きな差はない

大きな間違いである。

外国語である英語以上に大きな差があるというのが実態だ。

算数・数学の学力不足は心配するのだが、あるいは英語の学力不足は心配するのだが、国語の学力不足を心配する人は少ない。

ところが、国語力が不足すると、算数力や他の教科の力も不足するようになるということに気がついていない人が多い。

ヒトは「言語」を使って思考する。意識や概念などを明確化する過程において、「言語」を介在させる必要がある。

「言語」は「記号」と置き換えてもほぼ差し支えない。「言語」や「記号」は、実際には「母国語」である「国語」が担当する。

例えば、「赤」と言えば「赤い色」を思い浮かべることができる。しかし「赤」という言語・記号が存在しなければ、あるいは知らなければ、「赤」を意識あるいは認識することができても、「概念」として運用したり伝達したりすることが困難となる。なにしろ「赤」に関連して高度で複雑な思考を展開することができない。ただ、ぼんやりとしたイメージしか浮かばないだろう。

思考において母国語である国語の役割は決定的に重要である。国語力が貧弱だと、貧弱な「思考」しかできない。つまり、「思考力」が育たないということだ。

「思考力」とは、狭い意味では「記号」の運用能力とも言い換えられる。「記号の運用能力」は算数や他の教科にも多大なる影響を与えていく。

まだ頭を傾げている人がいるといけないので補足する。ここで言う「国語力」とは入試教科である国語の得点力のことではない。実は「入試国語」では極めて狭い意味での「国語力」しか測定できない

ここで言う「国語力」とは思考ツールとしての「言語」あるいは「記号」の運用能力のことだ。

思考力・分析力・表現力

どれ一つとっても、国語力が不足しては向上しない。

特に、母国語を身につけていく過程で重要な、胎児から小学校低学年までは、何をおいても国語の力を磨くことに専念することをお勧めする。

もちろん、その後も力を抜いてはいけない。漢検は満点賞を常に狙って、せめて1学年以上の級に合格し続けよう。漢字を覚えたら、それを使ってドンドンいろんなことに思いを巡らせよう。熟語・慣用句・ことわざも一緒に勉強しよう。興味のある分野の読書にドンドン取り組もう。図鑑に載っている写真や絵や説明図や地図などを、「言語」を使ってドンドン理解していこう。

「真の学力」はこうして育まれる。

商業主義的なお教室やお受験教室、そして売上至上主義的な大手受験塾では、狭い意味での優等生にしかなれない。それも一部の人に限られ、多くは落ちこぼれる。そして勉強難民となっていく。親子で勉強難民となっていく。

恐ろしいことに、いつのまにか、『無痛の中学受験』を売り物にする中学受験塾まで出現した。大手塾のカリキュラムと教材で授業するので、内容は大手と違わないはずだ。大手では一部の優秀者以外は『激痛』を味わうことになる。これを『無痛』にするというものだ。どんな魔法を使うのか知らないが、ただ授業料だけは大手並みだ。小5も小6も月約10万円かかる。大手塾で製造される大量の落ちこぼれを、待ってましたとばかりドンドン吸い込んでいく。

無痛であっても壊れていくことに違いはない。無痛だからよりひどく壊れてもわからない。受験が終わって塾を去り、麻酔が切れた後に激痛に襲われ、その時になってやっと気がづく。しかし、その塾との関係はすでに切れている。よくできたビジネスモデルだ。繁盛する塾というのは、みな商売が上手だ。

多くの保護者は商売が上手な塾がお好きなようだ。しかし、高額な授業料は決して「免罪符」にはならない。しかし、高額な授業料を払えば「合格」を受け取れると思ってしまうのか、際限なく高額な授業料を払い続ける。

さて、痛みは危険を知らせるシグナルだ。痛は安全維持装置が機能している証だ。痛みを感じるのは、そこに病魔があるからだ。あるいは、危険な何かに接触しているからだ。痛みを感じたら、適切な行動をとるべきだ。けっして安全維持装置を解除してはいけない。

痛みを無理に我慢してはいけない。痛みを無理に消してもいけない。病魔を取り除くか、病魔から離れるかするのが適切な対処法だ。

壊れた受験生や壊れた保護者は、はた目に実に痛々しい。壊れたものは元にはもどらない。繊細なガラス細工や陶芸品のようなものだ。一度壊れたら、壊れる前の状態には、二度と復元しない。

話は戻るが、小学校低学年までは必ずしも塾へ行く必要はない。学習教室などへ放り込むのはリスクが高い。この時期は、パパママ塾というか、家庭での教育が、最も効果が高く、また安全である。これは発達段階に理由がある。こどもは9歳前後まで、保護者への精神的依存度が高い。指導者と保護者が一体化しない限り、9歳以下の学習指導は適切に機能しない。

しかし、パパママ塾による家庭での教育が適切に機能していないと、学力の基礎ができあがらない。それは、後になってから構築できるものでもない。発達段階に応じて取り組むべき内容が違う。時期を逸するとうまく行かなくなる。

よって、親はここでこそ心血を注ぐべきだ。新小4など受験生になってから血眼になるのが親の務めではない。受験期に入った時点では、すでに学力格差は広がっている。そして、もはや根本的には解消しない。むしろ、今ある学力格差が、直後に生じる学力格差の原因となり、学力格差をさらに拡大させる方向に作用する。学力格差は幾何級数的に広がっていく。

高い学力を目指すなら、まっ先に国語力を磨け。

そして、正確な国語力を身につけよ。

するべき努力と時期を、間違ってはいけない。