[2018年2月9日]
都立中を含め、中学入試の合格発表が出そろった。
期待と不安が交錯する時期は過ぎ、もはや目の前には現実しかない。手続きの締め切りに追われて走り回っている人もいることだろう。
結果は予想通りであっただろうか。望みが叶った人は、これまでの努力を労わるがよいだろう。
しかし、望みが叶わなかった人は、ここでしっかりと振り返っておくべきだろう。望みが叶わなかった原因や理由をしっかりと分析し、改善の道筋を見つけ出してこそ、明日につながる。失敗や苦しみを乗り越えてこそ、成長できる。
ただ不都合な現実から目を背けただけでは成長はない。また同じ過ちを犯すことになる。そして、過ちを繰り返すたびに、目指した目標からは遠ざかっていくことになる。
リベンジ
中学受験に失敗した人が、高校受験で再挑戦することを指して使われることがある。「リベンジ受験」などと使われる。
小石川がダメだったら、日比谷でリベンジ!
「リベンジ」とは、英語では本来、「復讐」や「報復」を意味する。カタカナ日本語の「リベンジ」は、「挑戦」、「克服」、「名誉挽回」、「諦めない」、「くじけない」と言った意味でつかわれていると思う。もちろん「復讐」や「報復」の意味を兼ねて使っている人もいるかもしれない。
「復讐」という本来の意味で使ったとしたなら、いったい何に「復讐」しようということなのだろうか。
・不合格になった志望校に合格した人への「復讐」
・目標校に合格できた受験生たちへの「復讐」
・ライバル視していた受験生への「復讐」
・不合格になったことに陰口した人への「復讐」
・不合格になったことを哀れな目で見た人への「復讐」
・合格させてくれなかった塾や通信教育への「復讐」
・合格させてくれなかった在籍学校への「復讐」
・合格させてくれなかった志望学校への「復讐」
どれもお勧めできない。人は復讐のために生きるのではない。復讐では人は成長できない。復讐では目標は達成できない。
『復讐するは我にあり』
新約聖書のローマ人への書簡にでてくる一節だ。
自ら復讐してはいけない。神の怒りに任せなさい。つまり、復讐は我(神)がする、という意味であろう。
何が人を成長させるのか。
深い自省、深い反省、深い苦悩、深い思索ではないだろうか。
・なぜ、適切な時期に適切な対策をしなかったのか。
・なぜ、わが子の器を過大に評価したのか。
・なぜ、わが子の取り組みを甘く評価したのか。
・なぜ、目標校の難易度を甘く見たのか。
・なぜ、学力をもっと大切にしなかったのか。
・なぜ、判断を先送りしたのか。
・なぜ、合格に必要なことをしなかったのか。
・なぜ、合格に不必要なことをし続けたのか。
・なぜ、合格指導に忠実に従わなかったのか。
『復讐するは我になり』
今、アナタが復讐すべき相手は、アナタ自身だ。
もちろん、ワタシが復讐すべき相手は、ワタシ自身だ。
至らなかったワタシ自身だ。
すでに受験対策の最中にいる小4、そして本番までの残り期間が1年を切った小5は、過ちを繰り返さないようにするにはどうしたらよいか、しっかりと考えながら進めていこう。