[2018年4月8日]
アクティブラーニングが流行語のようになっている。
主体的で対話的で、深い学び
あたかも従来の学びの反対語のように使われているが、実態は反対語ではない。従来とは授業の進め方や指導の仕方が若干違うだけだ。しかし、まったく新しい学びのように思っている人が多いようだ。そして、前任者否定のように、これまでの学習法は悪人扱いとなっている。
アクティブラーニングは全く新しい学習法ではない。戦前においても実践されていたことがあった。そして、その功罪も分かっている。従来の学習法にとって代わるものでない。過度な期待は禁物である。
最新の全国学力調査で、アクティブラーニングの功罪がすでに浮かび上がってきている。
アクティブラーニングを積極的に実施している学校どうしを比較すると、比較的裕福な家庭の児童がほとんどの学校と、所得の低い家庭の児童が3割を超える地域で、その学業成績にはっきりとした違いがでている。裕福な家庭の児童が多い学校で成果が確認できる一方で、そうでない地域の学校では効果が確認できないどころか、逆効果になっているのだ。
一方で、アクティブラーニングを積極的に実施していない学校、つまり、従来の知識の伝授を中心に行っている学校どうしを比較すると、裕福な家庭の子が多い学校と、そうでない家庭の児童が多い学校で、効果に有意な差がみられない。
つまり、アクティブラーニングは、経済的に裕福なエリアや学校という制約条件下では効果を発揮するが、そうでない場合は逆効果になる怖れがあるということだ。
これは、統計データを解析する前から予測できたはずだ。もともと学力不振や学力優秀ではない児童や生徒を集めてアクティブラーニングをしたらどうなるか。知識や技能は定着せず、思考力や判断力や表現力などを磨くことなどできず、学びに向かう力を育むことなどできない。つまり、学力は低いままとなる。
アクティブラーニングは、戦前においても、師範学校の附属小学校などで成功事例がある。また、近年ではハイレベルな大学や大学院におけるケースメソッドなどで効果を発揮している事例がある。ある程度の優秀な児童や生徒や学生でないと効果が期待できない。一般の初等教育や中等教育に導入しても、効果より弊害が大きくなる。
話しを整理すると、アクティラーニングは、もともと学力が高い集団で実施すると効果がある場合があるが、学力が低い集団で実施すると逆効果になるリスクがある。
学力の高い低いにかかわらず、安定した効果が期待できるのは、非アクティブラーニングである。
アクティブラーニングを推進するとどうなるかというと、高い学力の子はさらに高い学力を獲得し、学力が高くない子は学力を向上させることができなくなる。
つまり、アクティブラーニングは学力格差を拡大させるということだ。
もしかしたら、それが、教育行政の目的なのかもしれない。学力の底上げに取り組みながらも疲弊し、もうあきらめて、学力上位層をさらに伸ばすことで、国家全体の平均学力を維持しようということかもしれない。
実質的に切り捨てられる学力中位層や学力下位層は、自助努力で学力を向上させなければならなくなる。つまり、低学力層は実質的に見捨てられ、今まで以上に自助努力が必要になるということだ。しかし、もともと低学力層は自力では蟻地獄から這い上がれない。多くは自助努力に失敗するだろうから、アクティブラーニングが本格的に実施されたら、短期間に、しかも急速に、さらに学力格差が開くことになるだろう。