[2018年4月9日]
仕事柄、休日に大型書店の学習参考書売り場を訪れることが多い。
滞在時間は数時間から、ほぼ一日に及ぶほど長時間になることが多い。
小学校低学年向けから、大学受験向けまで、気の赴くままに見て歩くので、どうしても長い滞在時間になってしまう。もちろん、収穫も多い。
大学受験向けなどは、定番から新刊まで種類が豊富なので、毎週末通っても全てをチェックできない。
参考書売り場で収穫となるのは書籍だけではない。最近は書店を訪れる親子の行動や会話がとても参考になっている。盗み聞きするつもりはなくても、至近距離で会話をされると聞こえてしまう。そのリアルな内容がとても参考になる。
先日は、小学生の女児と父親の会話が興味深かった。中学受験大手塾に通っているらしい女児は、塾の授業が分からなくなって悩んでいた。その解決の糸口を探るために大型書店を訪れたようなのだが、父親の説教が始まってしまったのである。非常識な親子ではなく、本に手を伸ばすワタシの邪魔になりそうだと、事前に察して場所を譲ってくれる。その、声を押し殺すように話しているところが妙にリアルだ。
前兆があっただろ、いつからそうなったんだ、正直に話しなさい。どんな症状なのか、詳しく説明しなさい。どんな経過となっているのか時系列で説明しなさい、と父親が追求する。女児も必死に説明する。いくつかの書籍を手にとり、具体的なやり取りがくり返される。
結局この親子は参考書は買わずに帰っていった。参考書や問題集の購入では解決しないと気がついたのであろうか。帰宅途中も帰宅しても、この話題は延々と続くのだろうか。
中学受験大手塾では、クラス分けはあるにしても、基本的には同じ教材を使い、同じカリキュラムで授業が進む。この難易度というかレベルがマッチしていないと、もっと厳しく言えば、一旦その塾のレベルについていけなくなると、もう終わりだ。
何度も繰り返してお話ししているが、中学受験大手塾で成功するのは、その塾が誇らしげに合格実績を発表する、限られた学校に合格できるような、一握りの児童だけだ。
小3や小4といった早い段階から、模擬試験やクラス分けテストが実施されるから、余裕でトップクラスを維持できないようなら、大手中学受験塾に通い続けることはおススメでない。
高額な授業料をお布施として支払い続けながら、何のご利益もないどころか、災いが降りかかるだけだからだ。
では、中堅の中学受験塾なら良いのか。全く良くない。大手塾のモノマネをしているだけの塾がほとんどだから、何も変わらない。大手塾にいるトップ層がいないから、同じような教材を使って、同じような授業をしながら、レベルを少しは落としているから、少しは災いが少ないかもしれない。しかし、スキあらば難関校の合格実績を積み上げたいのが本音だから、スキあらば大手の一角に食い込みたいのが本音だから、根本的に違いはない。
ならば、対極にある「個別指導」なら良いのか。中学受験でも高校受験でも、過保護で介護的な個別指導は、さらなる事態の悪化を緩和する程度しか効果のない、いわゆる『終末治療』だから、別の意味でおススメきない。
勉強も学習も、最終的には自分一人でできるようにならなければならない。『自立指導』ができる個別指導でなければ、百害あって一利なしだ。集団指導なら良いのかというと、これも『自立指導』にはなっていないから、結局ほとんどの受験生は落ちこぼれ、満足のいく結果にはつながらないから、おススメではない。
多くは、苦しみぬいた上で、軟着陸できる学校を見つけ出し、そこで満足できたことにするしかない。
受験勉強に限らず、勉強をする上で重要なのは、その時点でその人が取り組むべきレベルの内容を、適切に選択でき提供できるか、そしてその指導を適切にできるかである。そうすれば、その受験生は自立して勉強に取り組むことができる。ただし、巷のインチキ個別指導のように「終末治療」になってはいけない。見かけは似ているが、中身は大きく違う。ここが勝負を分ける分水嶺だ。
能力差のある人を数十人集めて授業を行っても、レベルや内容が的中しているのは数えるほどになってしまう。質問すれば分かるようになるかというと、そんな単純なものではない。
日々の指導の中で、「まずこの問題に取り組み、ここは一旦飛ばして、次はここをやり、そしてここまで行ったら、ここまで戻って、ここから再び始めよ。」と指導しているのは、このためだ。
それをしっかり守って進めれば、着実に成果を上げていくことができるはずなのだ。しかも、定期的に進め方を調整するから、それに対応する「素直さ」と「柔軟さ」も必要だ。その前に「忍耐力」が必要であることは言うまでもない。
ここまで読んで気がついた人もいるだろう。「勉強とは『しつけ』である」と。特に、小学校低学年までの『しつけ』は重要である。その後の『学業成果』を左右するからだ。
「中学受験大手塾」に通わせれば成功するなどと思わないことだ。巷の「個別指導塾」に通わせれば立ち直れるなどと思わないことだ。
子の学業成績を左右しているのは、家庭の「しつけ力」だ。家庭の教育力とも言い換えられる。家庭の教育力が低ければ、「中学受験大手塾」に通わせても、「個別指導塾」に通わせても、見事に失敗する。
家庭の教育力を引き上げたければ、その指導ができる塾を選びなさい。そして、その指導に忠実に従うこと。
根拠のない『オレ流』や『ママ友流』などを混ぜ合わせて、指導内容を別の物質に化学変化させてしまっては、良薬も毒に変わる。だから、指導には忠実に従うことが重要なのだ。
中学受験大手塾のように、牛丼屋チェーンの牛丼ような画一的サービスしか提供されない場合は、顧客がそれぞれカスタマイズしたくなるのは理解できる。自分の好みの味につくりかえなければ、とてもじゃないが口に合わない。しかし、顧客に合わせて調理された料理は、そのまま味わうのが最もおいしくいただけるはずだ。しかし、料理の味が分からない人には、どちらも同じに感じる。そうした人は、低価格料理が高価格で提供されても、そのことを見抜けないまま、安物料理を高級料理としていただくことになる。本人は気がついていないから、幸せである。提供する側も大儲けだから幸せである。ただし腕の良い料理人が消えていくことになる。
算数の参考書や問題集は、専門家レベルの選別眼がないなら、むやみに買い与えないほうが良い。アナタの子にピッタリの算数の参考書や問題集など、この世にはない。だから探してもムダだ。
アナタの子にピッタリの算数の参考書や問題集が欲しければ、アナタが完全にオリジナルのものを作ってあげなさい。せめて、真剣にその努力をしてみなさい。そうすれば、参考書や問題集の本当の使い方が、少しはわかるはずだ。