[2018年6月28日]
統計や確率の基本は、実は小学校算数で学習する。
その代表例が「平均」である。小学校5年生で学ぶ。「割合」(小5)や「比」(小6)も、統計解析や確率解析の基本的な概念として正しく理解しておく必要がある。これでも、世の中の簡単な統計分析はできる。何も難しく考える必要はない。シンプルな考えや見方でこそ、真理が見えることが多い。「基礎基本」とはこういうことだ。
「平均」することで何がわかるのか。極端な値は、傾向や性質を見極める上で、紛らわしいし、誤解を与えかねないので、「平均」することによって、実質的に影響を小さくして、物事の本質はどこにあるのか、見抜くことができるのである。
「平均」の示唆するところは実は非常に重要である。
統計解析や確率解析などにおいては、外れ値、異常値などを、いかに適切にその影響を最小限にし、その「データが示す尤もらしい事象」、その「データが示唆する本質」に、いかに正確に迫れるか、ということが大切である。
「合格者と不合格者の分布」で見てみよう。
〇が合格者、×が不合格者である。数値は偏差値だが、実力と解釈してもよい。どこかの都立中の実際のデータを用いた方が説得力があるだろうが、データ元から固く禁じられているので、実際のデータをモディファイして、ダミーとして表示する。
70:〇〇
69:〇〇〇
68:〇〇〇〇
67:〇〇〇〇〇〇×
66:〇〇〇〇〇〇〇〇×
65:〇〇〇〇〇〇〇〇××
64:〇〇〇〇〇〇〇〇××××
63:〇〇〇〇〇〇〇〇×××××
62:〇〇〇〇〇〇〇〇××××××
61:〇〇〇〇〇〇〇〇×××××××
60:〇〇〇〇〇〇〇〇××××××××
59:〇〇〇〇〇〇〇××××××××××
58:〇〇〇○○○××××××××××××
57:〇〇×××××××××××××××××
56:〇〇××××××××××××××××××
55:〇〇×××××××××××××××××××
54:〇〇××××××××××××××××××××
53:〇××××××××××××××××××××××
52:××××××××××××××××××××××
51:〇××××××××××××××××××××
50:〇××××××××××××××××××
49:×××××××××××××××××
48:×××××××××××××××
47:〇×××××××××××××
46:×××××××××××××
45:××××××××××××
44:×××××××××××
43:××××××××××
42:×××××××××
41:××××××××
40:×××××××
偏差値65が「80%合格可能性偏差値」となる。ここでも20%の受験生が不合格になる。
偏差値60が「50%合格可能性偏差値」となる。ここでも50%の受験生が不合格になる。
*ある特定の偏差値以上の累積として合格可能性偏差値を求める場合も多い。また、個人の成績は平均をとる場合が多い。サンプルとして過去数回分や過去数年分のデータをもとにする場合もある。上表は理解しやすいように簡略化してある。
この「50%合格可能性偏差値」を下回る「持偏差値」の受験生は、50%を超える合格可能性を、統計解析的な見地から「期待」できない。つまり、半分以上の確率で不合格になるということだ。受験校として選ぶかどうかは受験生親子のご判断による。しかし、安全を期するなら、このあたりから慎重なご判断をお勧めするべきだろう。
おススメは、できるだけ高い偏差値、例えば65近辺以上で受験して、高い確率で合格を勝ち取るという方針だ。入学後も、全体成績で平均より上となる可能性が高い。学校は教育の場だから、学業成績が優れた方が、楽しく充実した学校生活を送れる可能性が高くなる。これは都立中に限ったことではない。私立中学受験でも、高校受験でも言えることだ。しっかりと受験準備をして、できるだけ上位での合格を目指すのだ。
しかも、都立中の進学実績を見ると、上位都立中で上位約50%、中位都立中で上位約33%、下位都立中では上位約25%に入っていないと、国公立大学や難関私立大学に合格できていないから、できるだけ上位の学力で、確実に合格することの意義は大きい。「下層民」候補として入学すると、難関大学への合格の可能性は相対的にかなり低くなる。それどころか、合格できなかった子たちと、大学進学で逆転されてしまうリスクが高くなる。
もちろん、「スレスレ合格」や「まぐれ合格」を含め、「とにかく合格できればよい」という受験生親子を止はしない。それでも、受験指導を通して、上表なら偏差値58程度を実現できる見込みのある受験生が、責任をもって受け入れられる実質的な下限だろうと考えている。そうでない方は、他の塾を選んでほしい。巷には喜んで受け入れてくれる塾がたくさんあるはずだ。しかも「まだ間に合いますよ」とか「お子さんなら大丈夫ですよ」とかを口ぐせにしている、商売上手な塾も多い。
上の子は頑張りすぎて「下層民」どころか「深海魚」になってしまったので、下の子は手堅く行くことにする、というご家庭も多い。「下層民」や「深海魚」に関する情報や知識は、むしろ保護者から学んだことの方が多い。
私立中学受験なら、受験校にはいくらでも選択肢があるので、入塾基準がユルいコースも選択できるようにしてある。都立中コースの入塾基準がちょっと厳し目なだけで、全てのコースがそうなわけではない。
むしろ、主力の「私立中学受験」と、おなじく2本柱の一つである「高校受験」は、それほど厳しくはない。基準の目安は、小学生なら「机・椅子について、時間内を継続して学習できるか」、中学生なら「居眠りせずに、時間内を継続して学習できるか」である。基準を下回ると、立ち歩いたり、トイレに何度も立ったり、私語を発したり、廊下でスマホを始めたり、ボーっとしたり、文房具で遊んだり、瞑想しながら授業を聞いたり、遅刻したり、無断欠席が始まる。学習指導や受験指導どころではなくなる。
「通知表」の成績が芳しくない小学生や中学生というのは、実は、親が認識している以上に、学習に関して「だらしない」ことが多い。
真面目に取り組む受験生親子に迷惑がかかる。だから受け入れない。真面目に取り組む受験生にとって最高の環境を提供したいという思いから、そうしているのだ。
さて、このデータでは、偏差値47が、最も実力が低い合格者だ。
この偏差値47の合格者が、「偏差値47でも合格できる」と吹聴して歩くとどうなるか。しかも「偏差値47以上なら合格できる」と強調して喧伝するとどうなるか。
その言葉を聞いた人は、「偏差値47あれば合格できる」と、「偏差値60や65など必要ない」と解釈するかもしれない。
ところが、「偏差値47」付近のデータを見てもらえばわかるように、「偏差値47」では、合格可能性は「限りなくゼロ」に近い。「偏差値50」であっても「限りなくゼロ」に近い。
そこへ、「偏差値47で合格」と声高に聞くと、「偏差値47あれば、確実に合格できる」と錯覚してしまう怖れがある。
このような発言をする人は、その発言により、見ず知らずの大多数の人に、どんな実害や実利があるのか、慎重に考慮したのだろうか。
この付近の受験希望者に、「大丈夫ですよ。合格できますよ。」と自信もって言い切るには、別途そう言い切れる客観的な根拠でもない限り、誠実な態度とは思えない。どのような客観的な根拠があったのだろうか。
大災害の発生現場などでは、こうした発言の影響が際立つ。「30年も生きてきたけど、ここまで津波が来たことは一度もない。逃げる必要などない。」と言われると、逃げようと思っていた人も足が止まってしまう。それでも逃げようとする人に向かって、「逃げるなんて愚かなことだ。自治体の避難勧告などバカ正直に聞く必要はない。」と言われると、その人の前で避難行動を取りずらくなる。「まだ、俺の言うことが分からないのか。津波は来ないんだ。」と凄まれると、逃げられなくなる。
賢明な人は、それでも、何とかして逃げることを選ぶだろう。
20人に1人の確率で合格が期待できる。それは20人のうち19人は不合格になるということ。
20人に1人の確率で生存が期待できる。それは20人のうち19人はご不幸になるということ。
40人に1人の確率で合格が期待できる。それは40人のうち39人が不合格になるということ。
40人に1人の確率で生存が期待できる。それは40人のうち39人がご不幸になるということ。
「俺は初めて買った宝くじで3億円当たった。だからお前も買え。買わない奴はアホだ。なんで、こんなオイシイ話に乗らない。買ったことがない奴は絶対買え!」
「『宝くじの配当率は約50%。だから宝くじは、買えば買うほど銭を失う。』という奴がいるようだが、そんな奴の言うことは信用するな。きっと、何かを企んで、言い訳をしているだけだ。」
「そして、言ってヤレ。どうしたら必ず当たるか言うのがプロだろ、必ず儲けさせてくれるのがプロだろ、とな。」
「俺は、そういう話がイカシテると思ってるんだ。」
「ちっちゃな掛け金で、でっかく儲けようぜ。」
「『真面目に勉強して、確実に合格しよう』なんて、面白くもなんともない。」
「ちょろっと勉強して、わずかな隙間をすり抜けるように合格するのが、極意さ。」
「オイ、次は、カジノで、でっかく行くぞ。俺についてこい。いい夢を見せてやる。」
もう何年も前に書いたと思うが、もう一度書いておこう。わが子を『競走馬』のように扱うのは、お勧めしない。学校は教育機関であり教育施設である。そこへの入学を目指す親子は、どんな姿勢で受験に臨むのが適切か、今一度、確認されてみてはいかがだろうか。
今回は偏差値で説明したので、補足しておくが、学力がありながら「報告書」点数が優れない人もいるだろう。そういう人は高校受験ではかなり苦労する。学力相応の「報告書」点数が取れないということはどういうことなんだろうか。その原因や理由の究明はどうなっているのだろうか。
小学校も中学校も高校も、評価をつけるのは教員である。評価の基準や考え方は、ほとんど同じだ。小学校で「報告書」の点数が優れなかった原因や理由は、放っておくと、中学や高校に引き継がれる可能性が高い。「報告書」も、改善すべき点はないか、なかったか、検討してみてはいかがだろうか。
実は、高い報告書点数を取れる素地がありながら、逃していたという事も考えられる。だとしたら、「報告書」点数の低さに卑屈にならずに、正攻法で「よくできる」を増やしていくという取り組みもできたのではないだろうか。
あるいは、正攻法でも「よくできる」を増やせない、何か特別な事情があったのだろうか。だとすると、この解析は意味を持たないかもしれない。そもそも、そうした事情は申告でもされない限り、疑ってかかるのは失礼だから、前提条件からは外してある。