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三田学院

[2019年2月8日]

【統計不正】

統計不正。まぎれもなく「騙し」である。

ところが、長い歴史の中で、国家も、政府も、役所も、統計不正によって「民」を騙してきた。国家は、他の国家を騙してきた。世の中から、騙しがなくなることはなかった。

民間は、もっとひどい。

誰もが知る国内大手広告代理店に就職した、大学院時代の先輩は、その気があれば、「顧客」など簡単に騙せると豪語していた。

彼の専門は、統計解析である。

統計解析の世界では、報告を受ける人を上回る才能さえあれば、統計データの抽出、加工、解析、解析結果の表示方法によって、いくらでも都合よく結論を変えて見せることができる。

つまり、アホはいくらでもカモにできる、ということだ。

データは嘘をつかない?

そう思っているなら、すでにあなたは騙されている。
そう思っているなら、あなたの数学力は十分でない。

ウソを見抜く力がないと、常に騙されるリスクに晒される。

アホをカモにするかどうかは、統計解析者の側の倫理に委ねられる。

カモにされるかどうかは、受け取る側の真偽を見抜く力に依存する。

騙されたことに気がつかなければ、罪は成立しないからだ。

ウソも方便なのか?

ウソをつかれて幸せになれる人もいる。
騙されることで幸せになれる人もいる。

真実は人を幸福にするとは限らない。
真実は人に苦難を与えることがある。

幸せのためなら、ウソは正義となるのか?
または、真実は常に正義となりうるのか?

騙されて幸せに生きて行く道をよしとするか?
真実と向き合うことで苦しむ道を選択するか?

幸せであれば、ウソにまみれた人生でよいのか?
苦しくても、真実と向き合う人生を、選べるか?

あるいは、都合によって、巧みに、真実とウソを、選び合わせるのか?

ウソが少しでも混じれば、すべてがウソになる。

あなたの信じる真実に、ウソは混じっていないか?

あなたの人生を、あなたはどう生きて行くのか?

ウソと共に生きるか?
真実と共に生きるか?

往生際に懺悔しても、もう遅い。

悪党ほど往生際が見苦しい。

医師となったサークルの先輩が語った言葉が、耳元から消えない。

それでも、あなたはウソをつくのか?
それでも、あなたは騙されたいのか?

ウソにウソを上塗りしても、ウソは真実にならない。
ウソにウソを上塗りしても、ウソはウソでしかない。

真実は無垢でもろい。

しかし、真実だけが、すべてを癒してくれる。
しかし、真実だけが、すべてを救ってくれる。

そう信じて、止まない。