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三田学院

[2019年2月24日]

【都立中】敵に塩を送らず

2月22日午後に都立高校入試が終わり、一段落した解放感からか、23日は朝寝坊に、昼寝に、夜は早寝と、すっかリラックスさせていただいた。

今年度は受験生が少なく、例年と比べて精神的に楽な方であったが、それでも、楽な1年ではなかった。

受験生が倍増する予定の新年度のことを考えると、順調に乗り切れるかどうか、正直なところ不安になる。

昨日や今日に思いついたことではなく、ずっと考えていたことで、少し前の日記にも書いたが、新年度は受験に関するアイデアの提案や、一般の受験生に有益な情報提供は、この日記では、原則として、しないつもりだ。

もともと、塾生向けの情報提供を目的として書いている日記である。しかし、連日のように2,000から3,000件のアクセスがある。生徒数が1,000人を超えるような大手塾ではないから、読者の多くは、塾外生の保護者や、教育や受験に関心がある人ということになろう。

中には、競合する、塾や家庭教師や通信教育の関係者や受講者などが含まれている可能性もある。

事実、以前にご紹介した「難関私立中学との新・併願戦略」や「新・受検算数戦略」では、全くおなじ戦略で高い戦績を上げたと書かれた塾ブログや、新たにコース戦略に加えたとする大手塾の広告も見受けられ、塾生に良からぬ影響が及ばないように、もっと慎重を期すべきであったと反省しているところでもある。

敵に塩を送る

「敵に塩を送る」は、戦国時代に、相模の北条家と駿河の今川家による「塩止め」によって、領内が極端な塩不足に陥った甲斐の武田家に、越後の上杉家が、塩を送ったとされる美談だ。しかし、実は、越後商人を甲斐や信濃に送り、高値で塩を売らせただけという説もある。それでも武田家は感謝し、礼として上杉家へ名刀を贈ったとされる。

しかし、その後、武田家は滅亡した。「塩止め」をした今川家も北条家も滅亡した。上杉家だけは幕末まで生き延びた。

敵に塩を送らず

何の得にもならないかもしれないのに、敵に塩を送っても、仕方ない。それ以上に、塾生の不利益になるかもしれないようなことをしてはいけない。

すでに、年の瀬が迫った頃から、少しずつ「敵に塩を送らず」を意識していたが、都立高校前期日程が終わった2月22日をもって、今後は、「敵に塩を送らず」を徹底していくことにする。

「敵に塩を送る」ことにならないような内容であれば、今まで通り、いつもの「毒舌」とともに、記していこうと思う。「毒」を吐くのは核心に迫るためである。

年が明け、受験情報誌などにはない、他塾の宣伝や広報などにもない、まったく新しいと思われる受験戦略を、また二つ思いついた。思いついたというより、試行錯誤していて核心に至ったというのが正確だ。もちろん公表しない。すでに該当する受験生を対象に実証段階に入っている。

こうした戦略にお付き合いいただけるような、この戦略にピッタリの、受験生親子が入塾してくれることを楽しみにしている。その親子とは、この日記を熱心に読んでくださっている、アナタかもしれない。

新・戦略は、ピッタリと見受けられる塾生親子にだけ、ご提案させていただく。体験授業にお越しいただいただけでご提案することはないし、お問い合わせいただいても情報提供することはない。もちろん、この日記に書くことはない。

新・戦略でなくても、十分ご満足いただける受験指導を、今後も提供していく。従来の受験指導も、日々新しくしてきており、今後もしていく。