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三田学院

[2019年9月30日]

【地元公立中学】崩壊へと向かうのか?

千代田区立のある中学校や、世田谷区立のある中学校では、試験的に大改革が進められている。

・定期テストの廃止
・宿題の廃止
・校則廃止
・担任制の廃止

などだ。

雑誌やテレビなどによる報道で、ご存知の方も多いであろう。

報道では、取材を円滑に進められるように、取材に協力していただける方に配慮がなされるのが常道だ。また、賞賛の対象とするか、非難の対象とするかに絞らないと、視聴率や販売実績につながらない。

よって、報道内容を、報道者の意図に載って、鵜呑みしてしまうことは賢明な態度だとは思わない。

そもそも、なぜ大改革が必要だったのかを考えてみることが必要であろう。

世田谷区立のある中学校では、反抗する生徒が学校運営の大きな障害になっていたようだ。この他にも、学校に来ない、教室に入れない、授業に参加できない、といった生徒の比率が、例外扱いできない程の比率になっていたようだ。

なっていたようだという表現としたのは、直接取材を行ったわけではないからだ。しかし、報道の行間を読めば、本当の課題や改革の理由は容易に見て取れる。

千代田区立のある中学校では、中学受験に失敗した生徒がほとんどという状況が、学校運営をする上で重大な障害となっていたようだ。

千代田区、中央区、港区では、公立中学へ進学しない生徒が50%を超える。渋谷区や目黒区などでも、私立中学などへの進学率が30%を超えている。

実態として、学力上位層の存在が、ほぼ壊滅状態に近くなっているのだ。

学力上位層が極端に少ないと、手本や見本となる生徒がほとんどいなくなる。教員は成功事例を示して指導することができなくなる。

定期テストが形骸化する。
宿題が形骸化する。
校則が形骸化する。
学校に来ること自体が形骸化する。
教師の指導が形骸化する。
学校での人間関係が形骸化する。

すでに形骸化し崩壊しているのであれば、廃止しても悪影響はない。

定期テストを廃止する。
宿題を廃止する。
校則を廃止する。

登校しても教室授業には参加しなくてよい選択肢が与えられる。
教室が嫌なら、他の生徒が嫌なら、廊下教室や第二教室に通う。
教師は最低減の指導にとどめ、生徒それぞれに任せて学ばせる。
教師は視線だけでなく立場も生徒レベルに下げる。教師のともだち化だ。

そんな教師を教師と呼べるのであろうか。

嫌な教員との人間関係を構築維持する必要もない。
従来の教育現場の常識からしたらほぼ無法状態だ。
事実、法を犯さなければ、ほぼ何でも認められる。

生徒は反発しなくなる。
生徒は教員に反発しなくなる。
生徒は学校に反発しなくなる。

反発する対象がなくなったからだ。
反発する意味がなくなったからだ。

データを見ると、この千代田区立の中学校では、7割以上に「4」以上の評定がついている。内申重視の高校受験では、すこぶる有利だ。しかし、進学実績は極端に良いわけではなく、学力測定の結果も決して高くはない。東京都の全平均だと「3」以上が8割だから、ただ、内申がインフレートしているだけのようだ。

相対評価時代なら「2」に「4」が、おなじく「3」に「5」がついている計算になる。生徒も保護者もニコニコだろうから、幸せムードにつつまれた学校にはなるであろう。しかし、これで良いのだろうか。バブル経済崩壊前夜のような危うさを感じるのは私だけであろうか。

これは、他の公立中学に通う生徒にとって、致命的に不公平だ。他の公立中学校もおなじように「超インフレ」を志向すれば、5段階評価が形骸化してしまうだけでなく、評定に対する信用が崩壊する。

港区伝統校のある区立中学校は、内申が辛いことで知られている。

千代田区立のこの中学校が、内申が甘いことが広く知れると、どうなるのか。

越境入学のブーム再来か。実はそこを狙った改革か。

そんな状況になれば、自治体ごとに運営されている公立中学校の制度が崩壊するかもしれない。

中身だけでなく、見かけも、崩壊へと向かうのだろうか。

崩壊しないのは、立派な校舎だけ、だろうか。

何をもって、教育改革の成功と、するのであろうか。

教育は社会をよくしていかなければならない。
教育が社会に追従したら社会はよくならない。

教育は人を育てなければならない。
生徒に追従するのは教育ではない。

地元公立中学が、ただの「設備」でしかなくなってしまわないようにと、祈る。
地元公立中学が、実質的には「無法地帯」になってしまわないようにと、祈る。
地元公立中学が、ボトム層専用の教育施設になってしまわないようにと、祈る。

これに加えて、地元公立小学校が本格的に崩壊すれば、日本の義務教育は完全崩壊する。

完全崩壊の先に、再生があらんことを、祈る。