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三田学院

[2019年12月29日]

このままでは、人類は破滅へと向かう

2020年は、希望に満ちた年の幕開けを、約束しない。

オックスフォード大学で博士の学位を取得し、ヘブライ大学の教授となったユヴァル・ノア・ハラリ氏は、近年、世界的なベストセラーを生み出したが、人工知能(AI)と生物工学(遺伝子工学)が、かつて人類が経験したことがないような過酷な格差をもたらすと予測する。

ハーバード大学で学士を、ケンブリッジ大学で博士を取得し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授であるジャレド・メイスン・ダイアモンド氏は、過去に消滅した文明についての研究で有名であるが、宇宙の知的生命体は、宇宙に進出してまもなく、ことごとく消滅したとの説を唱えている。

二人ともユダヤ人であることは興味深い。さらに二人ともヨーロッパ系のユダヤ人であることがさらに興味深い。ユダヤ人は優秀であると言われるが、そのほとんどはヨーロッパを経由して世界に進出したユダヤ人である。彼らの過酷すぎる系譜が、優秀な頭脳を濃縮させたのであろうか。

知の巨人が唱える未来は明るくない。それは、景気が悪くなるとか、巨大災害で多くの人が苦しむとか、誰もが思いつくような過酷さではない。人類が生存の危機を迎えかねないような、終末的な過酷さである。

それは、人類があらゆる叡智を駆使しても乗り越えられない未来かもしれない。

あるいは、卓越した叡智を手に入れられた、ごくごく一部の人しか生き残れないような未来かもしれない。

ダイヤモンド博士が研究した「伝統社会」では、共同体に属するすべての人を生かすだけの余裕など存在しない。「現代社会」においても、実はすべての人を生かすだけの余裕はない。しかし、「現代社会」はすべての人を生かすことができるという仮想現実を前提としているかのように見える。

社会科学における理想と自然科学における現実との間にある乖離は、どうすれば埋め合わせることができるのであろうか。

「格差社会」では、一部の弱者を切り捨てざるを得ない社会を、批判的に描いた。

しかし、ハラリ氏は、将来には大多数を占めることになる弱者が、ほとんど生き残れなくなる未来を予測する。

私は、これを「人類が破滅する未来」と解釈する。

ほんの一部の人類しか生き残れなくなるのならば、その先には、全ての人類が生き残れなくなるような状況が出現するリスクが高いからだ。

ウィスコンシン大学のショーン・キャロル教授は、自然界における個体数の調整機能についての研究から導き出した「セレンゲティー・ルール」で、「生きるために従うべき(自然界の)ルール」の過酷さを示したが、一方で生態系の回復について一筋の光明も提示する。

破滅へと向かう人類の歩みを軌道修正できるのは、人類でしかない。

明るい未来を願うだけでは、明るい未来は手に入らない。

明るい未来を願うだけでは、いずれ破滅するしかない。

明るい未来は、叡智を結集することでしか、実現できない。

それでも、だらしなく、今日を生きようとするのだろうか。

ドイツ人であり、ドイツ(スイス)の文豪であるヘルマン・ヘッセは、その作品の中で、10代の早い時期に優秀な人材とそうでない人材が選別される、当時の教育制度の下で苦しんだ少年を描く。

当時のドイツの教育制度というか学制は、優秀な人材を11歳前後で選抜する制度であった。これはドイツだけでなく、イギリスや日本も大差はなかった。

教育制度は変わっても、優秀な人材は11歳前後で頭角を現すことは、現代でもほとんど変わってはいない。

年越しやお正月を祝うのは、数時間程度で十分である。

能力があるのなら、人類を救うべく、寸暇を惜しんで智慧を磨くべきではないだろうか。

正真正銘のリーダーとは、それができる人を言うのだと思う。