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三田学院

[2020年4月30日]

9月入学の問題点

東京都は、実施的な5月10日までの学校臨時休校(スタッフ日記、4月25日参照)を発表していたが、愛知や岐阜や群馬や茨城などが、5月末までの学校臨時休校を決定する中、東京都も5月末までの臨時休校延長を視野に入れ始めている。岩手県など一部を除き、全国的な動きとなりそうな気配である。

臨時休校というより、臨時長期休校である。

この場をしのぐために、にわかに浮上した「9月入学」への移行論議は、早々から迷走しそうな気配だ。

4月2日生まれから翌年4月1日生まれの「現在の学年」を、9月1日に入学させるというのであれば、すでにこの案は破綻している。

新型コロナウィルス感染症拡大が収束した後も、「ずっと」約6ヶ月間の「待機期間」という「ズレ」が残ることになる。

「9月入学」とするなら、本来、前年の9月2日生まれから、本年の9月1日生まれを、9月1日に入学させるのが正しい。

もし、新1年生などから始めて、前年の4月2日生まれから本年の9月1日生まれを1つの学年とすれば、突如として生徒数が1.5倍に近いマンモス学年が全国的に発生し、教室や教員や設備などが大幅に足らない深刻な事態が発生する。しかも、新2年生など上の学年は、長期にわたって、半年ズレた学年のままになる。

さらに、「9月入学」の場合、本来なら、同じ年の「4月2日から9月1日生まれは『1つ上の学年』」としなければならない。つまり、新1年生として入学を予定されていた児童生徒のうち、4月2日から9月1日生まれは「新2年生」としなければ、つじつまが合わなくなる。

これでは、この「新2年生」は、未実施の学校授業が、最長で1年となってしまい、臨時休業延長で消えた授業時間数よりも、「9月入学」で消えた授業時間数の方が大きくなってしまので、本末転倒となる。

また、「9月入学」を採用しているイギリスやアメリカなどは、今でも「日本よりも『半年早い』(つまり前年の)9月に」義務教育がスタートする。もし、日本が、例年より半年遅れで9月入学とすれば、今ある約6ヶ月の遅れは、ちょうど1年の遅れに、さらに拡大してしまう。

グローバル・スタンダードに合わせるなら、日本の「9月入学」は入学を「半年遅らせる」のではなく、入学を「半年早める」のが適切となる。

このため、「9月入学」へ移行するのであれば、まず小学新1年か幼稚園新年少の学年のみから始めて、約15〜20年かけて徐々に移行するのが、もっとも現実的だ。財政的に大きな臨時費用も発生しないし、現場の混乱は最小限に収められるし、中学入試や高校入試や大学入試を含めた、教育年度の組み換えも、時間的に十分な余裕を持って進められる。

急遽「9月入学」とすれば、すぐにすべてが解決するなどと、安易に思ってしまうようでは、考えが浅い。

新型コロナウイルスの感染症の収束が、9月以降まで遅れたり、ペストやスペイン風邪のように、第2波や第3波が、複数年に渡って襲ってきたら、この「にわか9月入学案」では、全く対処できなくなる。

根本的な解決を目指すべきである。

今回の新型コロナウィルス感染症拡大に限らず、何らかの理由で児童生徒が長期間にわたり学校に通えない状況になっても、しっかりと対応できる体制構築を目指すべきだ。

今すぐ、国と自治体で予算措置して、十分な数量の学習専用のタブレット端末を調達し、自前では調達が難しい全国の児童生徒や学生に、無料で貸し出して、登校授業休止中であっても、少なくとも主要教科は、緊急事態であっても、しっかりと(通学レベルの)教育を施すことができるように整備すべきである。来年度以降も有効に使えるのだから、「教育インフラ」の前倒し整備と位置付ければよい。新学習指導要領で追加された「プログラミング」や「英語(英会話)」の教育ソフトも、順次付加していけばよい。学校授業を実質的に行えていないのだから、この間に並行して、教員の研修もオンラインで実施すればよい。

教育こそが、広く開かれた豊かな社会の礎であることを、けっして忘れてはならない。

日本は、先進国の中で、GDPに占める公教育支出の割合が低すぎる。それが経済成長の足枷になり、長期の景気低迷にもつながっているという現実からも、目を背けてはならない。

どんなに苦しくても、本来最優先で取り組むべき課題から、目を逸らしてはいけない。

安易な方に流れるなど、あってはならない。