[2020年5月2日]
9月入学が学力格差の解消につながるという根拠は、どこにあるのだろうか。
長期の学校臨時休業を、勉強しない口実にする層は、そのほとんどが、学校臨時休業がなければ別のことを口実に、勉強しない。
学校授業がないと勉強できないと主張する層は、実は、学校授業があっても勉強しない。
だから、9月入学などで、全国の学校臨時休校期間を統一したとしても、休校期間中に勉強しない層は勉強しないし、学校が休校でも勉強する層は勉強するから、学校休業期間を延期すればするほど、学力格差は縮小するどころか、むしろ拡大する。
勉強しない層は、長期臨時休校を学力不振の理由にするかもしれないが、これをそのまま文言通りに聞き入れて、教員や学校や教育委員会や文部科学省が責任を取る必要はない。
学校臨時休校であっても、しっかり勉強する層が、少なからずいることを、その反証とすればよい。
東日本大震災でインフラが大規模に破壊された際に、東日本の学校を9月入学にするという議論は起こらなかった。しかし当時、多くの学校設備が被災して、授業を再開できない学校が少なくなかった。放射性物質が広く拡散し、外出もままならない人も多くいた。震災の被害を直接的には受けなかった首都圏の多くの地域でも、大規模計画停電で、しっかり勉強しようにも勉強できなかった人が数えきれないくらいいた。
しかし、入学時期が9月に延長されることはなく、入試日程も原則そのままとなった。
今回は、登校の機会が一部奪われたかもしれないが、勉強の機会が全て奪われたわけではない。
機会の平等と、結果の平等を、混同してはならない。
結果の平等を追求すれば、民主政治は崩壊し、衆愚政治へと退廃する。
政治家は、選挙で負ければただの人に戻ってしまうから、有権者にすりよって、人気を稼がなければならないこともある。
時に、怠け者にも加担したくなる誘惑に駆られるかもしれない。
しかし、そんなことで、本来目指すべき姿を、間違ってはいけない。
将来に大きな禍根を残すことになる。
新型コロナウィルス感染症拡大という、未曾有の危機を迎えた中、政治家は、有権者のご機嫌取りに勤しんでいてはならない。
こんな時こそ、真のリーダーは、本来進むべき正しい道を、しっかりと示して、人々を導くことができなければならない。
機会の平等は、「9月入学」とは違う手段や方法でこそ、しっかりと担保できるはずだ。