[2020年5月14日]
いよいよ、39都道府県で、緊急事態宣言が解除される。
全国の多くの学校で学校が再開される。首都圏や東京都内も、遅くても5月末頃までには、ほとんどの学校で臨時休校が解除されるであろう。
教室近隣でも、分散登校日なのであろう、制服を着て学校を往復する中学生を見かけるようになった。
これで、「コロナ休校対策」としての「9月入学・9月新学期」論は、下火になって行くと思われる。
いつのまにか、「今年の9月」が「来年の9月」にすり替わっているようだが、「コロナ休校対策」としての「9月入学・9月新学期」なら、今年や来年に、急いで制度変更する必要はない。
今や、都内の多くの私立中高や都立中高は、時間割を配って、毎日本格的にオンライン授業を実施している。生徒たちは自宅に居ながら、授業の受講や課題の提出に大忙しである。地元の公立小中学校も、すでにオンライン授業を開始している。多くの大学は、それよりも早く、オンライン講義を開始していた。
大学生の窮乏はバイト先がコロナ休業しているためだ。大学がオンライン講義をしていることが窮乏の原因ではない。だから半年近く学校歴を遅らせることになる「9月入学・9月新学期」は、何の支援にも救済にもならない。それどころか、大学生をさらに窮地に追い込むことになる。
政治家や評論家の中には、タイムリーに現状把握ができていない人が多くいるようだ。現場の実情とはかけはなれた議論をいつまでも提起している人が散見される。
そもそも「9月入学・9月新学期」は、問題の先送りでしかなく、まったくコロナ休校の穴埋めにはならないし、コロナが収束すれば、非常時では気がつかなかった問題が噴出して、禍根を残しかねない。
9月入学にして、だれかれかまわず、強制的に、半年近くの実質的な「留年」や、実質的な「落第」を迫ること自体が、憲法で保証された「教育を受ける権利」を著しく侵害しかねない。
家庭の通信設備環境が整わないから実質的に何もしないというのも、「教育を受ける権利」を侵害している。
パソコンがないことや、通信手段が確保できないことが理由なら、代替手段はいくらでもある。
映像配信用に授業を録画したのなら、何もオンラインで全て配信する必要はない。DVDなどに授業録画のコピーを焼きつけて、郵便などで、プリントや配布物と一緒に、各家庭に届ければよい。
DVDレコーダやブルーレイ・レコーダなら、ほとんどの家庭にあるだろうし、使い方も簡単だし、通信費用もかからない。
ポータブルDVDプレーヤなら、PCやタブレットより格段に安価だから、新規に調達して貸与するにしても、PCやタブレットより遥かに予算は少なくて済む。
DVDは、閲覧後に課題と一緒に回収して、学校や教育委員会などが保管しておけば、来年度以降も利用できる。学校の図書館で管理して、常時貸出可能にしておけば、平時であっても、個別に学習が遅れている児童生徒や、教室授業に参加できない児童生徒の、力強い支援になる。
今回のコロナが完全に収束するには年月がかかるだろうし、別の自然災害時にも使えるし、病気や事故など別の理由で学校へ登校できない児童生徒の学習指導にも使える。
コロナ休校により、これまで「不登校や学業不振の児童生徒を本気で学習指導していなかった」ことが、図らずも露呈してしまったのである。もし、本気で取り組んできていたなら、「オンライン授業で教育格差が広がる」とか、「9月入学・9月新学期で教育格差を解決できる」などという議論が、ここまで大きく取り上げれることはなかったと思う。
オンライン診療が医療僻地の人々の救済になるように、使い方次第で、オンライン授業はむしろ教育格差の救済になるのである。
受験を控えた高3や中3も、知恵を絞れば救済できる。
入試出題範囲や入試機会や入試時期や入試方法に、配慮を施せばすむ。
いくらでも案はあるから、ここでは個別に詳しくは触れない。別の日記にも書いたので参照されたし。入試担当者や作問担当者などの気持ちになって考えれば、アイデアはいくらでも出て来よう。
文部科学省は、すでに学習の遅れは数年かけて取り返せばよいという通知を出している。卒業や進学や就職を控えた最終学年だけを、特別に配慮すれば済む話しだ。全学年を急遽「9月入学・9月新学期」に移行させる必要はない。
要は、ヤル気と、工夫する努力が、足らないだけだ。
運動会や移動教室などの学校行事も、工夫次第で何とでもなる。むしろ「9月入学・9月新学期」にしたら、学校行事スケジュールは、年度を超えてしばらく大混乱が続くことになる。
「9月入学・9月新学期」は、コロナ対策とは切り離して、しっかり議論すればよい。
それよりも、今は、休校期間中の学習指導や、学校再開に向けた準備に、全力で取り組むべきだ。
言い訳や口実に、惑わされてはいけない。
パフォーマンスに、惑わされてもいけない。
やるべきことを、しっかりとやり切る覚悟で臨んでこそ、難局は乗り切れるのだ。