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三田学院

[2020年5月26日]

【公立小中学校】は、「学力抑制装置」なのか?

学校臨時休校で「教育格差」が開くという見方がある。

しかし、開くとしたら「教育格差」ではなく「学力格差」なのではないだろうか。

そもそも「教育格差」とは、一般的な解釈では、生まれ育った環境の違いなどから、生涯に受けられる教育の「格差」が生じていることを指しているはずだ。

学校臨時休校で学校授業が受けられない度合いは、同じ学校に通っているのであれば同じだから、そこで生じるのは、「教育格差」ではなく「学力格差」だ。もっとシンプルに、単なる「学力差」と言ってもいいかもしれない。

都道府県別で学校休業期間が違うことによって生じる「差」も、厳密には「生涯的な教育格差」ほど大げさなものではなく、学校授業進捗状況の「短期的な都道府県間格差」にすぎない。しかも、今回は、都市部が不利な状況で、地方が有利な状況と、いわゆる「教育格差」とは正反対の現象となっている。この「短期的な都道府県間格差」は、全国レベルで競い合う大学入試においては、今年度の高3生ではいくらかの不公平をもたらすかもしれないが、高校入試は原則として都道府県ごとに実施されるから、競争に不公平は生じない。

同じ学校や同じ地域など、環境条件が一緒でも、児童生徒間における学習の取り組み状況の差によって、「学力格差」は大きく開き得る。

しかし、これは学校が臨時休校でなくても、日常的に発生している事象であるから、この「学力格差」を学校の臨時休校が原因だとするのは、正しくない。個人による学習への取り組みの「差」が原因だ。

今日は、【教育格差】なのか、【学力格差】なのか、【学力差】なのかを論じたいのではない。

心配しているのは、公立小中学校が、児童生徒にとっての「学力抑制装置」として機能しているかもしれない、ということだ。

学校臨時休校で、想定外に学校に通えない期間が生じた。しかし、見方を変えれば、想定外に学校に通わなくてよい期間が生じたとも言える。

熱心に勉学に励みたい児童生徒は、学校臨時休校で、思う存分に勉学に励めたはずだ。易しすぎる学校授業や、進度の遅い学校授業や、学校行事や、部活動やクラブ活動などから、解放されたからだ。毎日の通学往復時間も勉学時間に充当できたであろう。

思う存分に勉学に集中して取り組んだ児童生徒は、この間に、学校臨時休業が起きなかった場合よりも、学力を大きく向上させることができた可能性がある。

真偽は、いずれ明らかになるであろうが、もしそうだったとしたら、公立小中学校が、勉学に熱心な児童生徒にとって、恒常的な「学力抑制装置」として機能していることになる。学校臨時休業により「学力抑制装置」から解放されたことで、いつもより能力を開花させられた可能性があるのだ。

誤解しないでほしい。公立小中学校の教員や、公立小中学校の幹部や、教育委員会などを、責めようとしているのではない。

公立小中学校が、勉学に熱心な児童生徒にとって、「学力抑制装置」として機能しているのではないかと、心配しているだけだ。

底辺に目を向けることには意義がある。しかし、底辺にばかり目を向けていては、真実は見えてこないのではないか。上辺にも中辺にも、等しく目を向けなければ、真実を正確に捉えられないはずだ。

「学力抑制装置」

もし機能していたら、どうしたらよいのか。
改善すべきなのか、改善せざるべきなのか。

これでいいのか。これではいけないのか。
いけないのなら、どう改善すべきなのか。

いずれ問われる日が来るかもしれない。

公立小中学校が、「学力抑制装置」としての機能を、意図せず発揮し強めたことが、世界における日本の学力順位が下落した原因になっているかもしれない。

そうでないことを、祈りたい。