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三田学院

[2020年5月29日]

【都立中】教育格差はなぜ起きるのか

新型感染症拡大に伴う学校臨時休校が解かれ、いよいよ通学が再開される。しばらくは分散登校となる学校が多いようだ。

臨時休業中の学校の学習指導については、多くの児童生徒や保護者から、特に公立小中学校に通う児童生徒や保護者から、さまざまな不安や不満などが多く聞かれた。

しかし、ここで忘れてはならないのは、学校臨時休校中も、家などで「勉強をしてはならない」などという規制や要請は、一切なかったということだ。これは、どの児童生徒に対しても、平等であったはずだ。

さらに、学校臨時休校になる前も、家などで「勉強をしてはならない」などという規制や要請は、一切なかったはずだ。これも、どの児童生徒に対しても、平等であったはずだ。

集団一斉授業が前提の学校授業は、原則として、どの児童生徒も平等に施される。

宿題や課題の量が多いか少ないかは、もちろん学校や担当教員による差もあろうが、同じ学校の児童生徒であれば、基本的には同じはずだ。

ところが、個別には、量が多いとか少ないとか、取り組みが可能だとか不可能だとか、親の負担が大きいとか小さいとか、違った意見が聞こえてくる。

かなり以前の日記で、小学校入学時点ですでに学力差は開いており、小4では学力差はさらに大きくなり、その後は、学力の階層が固定されていく傾向がみられることをご案内した。これは多くの学術研究の諸結果とも整合的な内容であるので、ご確認いただきたい。

この「学力の階層化」は、どこに原因があるのだろう。

学校などの教育施設は、特に公立小中学校は、誰に対しても、おなじように教育指導を行う。しかし、学力の階層化は必ず起こる。よって、答えは明白である。

いまだに、オンライン授業の整備状況の違いが、「教育格差」を生むという意見を、唱え続ける人がいる。

しかし、オンライン授業だけが「遠隔授業」ではないし、オンライン授業だけが「学習指導」でもないし、オンライン授業だけが「学校授業でもないし、オンライン授業だけが「学習の全てでもない。しかも、今回のオンライン授業の整備状況の「違い」は、初動の違いによるところが大きかった。どんどんその差は縮小してきている。9年間の義務教育期間のすべての期間において起きた「違い」ではない。

オンライン授業が「教育格差」を生み出したのではない。その証拠に、臨時休校が始まって1ヶ月後の4月時点の公立小中学校における、オンライン授業の実施率は5パーセント程度と低いままであったが、それ以前から「教育格差」は存在していたし、問題視されていた。

オンライン授業が「新たな教育格差」を生むというのなら、オンライン授業は禁止すればよい。しかし、そんなことをしたら、日本は世界中の笑いものになりかねない。

「教育格差」の一般的な定義については、過去の日記にも書いた。短期的なICT実装状況の違いによる、短期的な環境の違いを、「教育格差」を生む原因とする意見には無理がある。

繰り返すが、学校臨時休校中であっても「勉強をしてはならない」などという規制や要請は一切なかった。

学校臨時休校中に、真摯に勉学に励んだ児童生徒もいれば、怠惰な日々を送った児童生徒もいよう。
学校臨時休校中でなくても、真摯に勉学に励む児童生徒もいれば、怠惰な日々を送る児童生徒もいよう。

その差が、決定的な「格差」を生むのである。

オンライン授業に、少しの期間の差や、少しの内容の差があることが、「格差」を生んでいるのではない。

「格差」は、継続的な、あるいは、長期的な、環境や対応の、大きな違いが生む。

宿題や課題を多いと感じる児童生徒や保護者や、宿題や課題に取り組むのが難しいと感じる児童生徒や保護者は、そう感じない児童生徒や保護者も多数いることを認識した上で、意見したり行動したりすることをお勧めする。

その認識と行動が「格差」を埋める第一歩となる。

今回、オンライン授業の「ありがたさ」を知ったことは、多くの人にとって有益であっただろう。

しかし、オンライン授業がなくても、勉強はできるということを忘れてはならない。

人類の長い歴史を振り返れば、オンライン授業があった期間など、ほんの短い期間でしかなかったのだから。

言い訳を言ったり、誰か他の人を責めるのは、今ある環境でできることに、まず全力で取り組んでからにした方が賢明だ。

環境はいつも万全に整うことはない。

常に、今ある環境下で、最善をつくすしかない。

この学校臨時休校下で、明暗を大きく分けた要因は、すでに「学齢相応の学習習慣」を身につけていたか、いなかったかの「違い」や「差」、つまり「学習習慣の格差」だ。

学習のすべてを「学校などに丸投げ」していた親子は、このことを見つめ直す、良い機会だったのではないだろうか。