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三田学院

[2020年8月14日]

【都立中】国語教育改革と論理国語

英語教育改革(四技能化など)が注目される陰で、国語教育改革(実用国語重視化など)への注目が進んでいないように見受けられる。

2022年度から、高校国語は、「現代文」「古典」「国語表現」からの選択が、「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」からの選択となる。

わかり易く言えば、「現代文」が、「論理国語」と「文学国語」に分割されるということだ。実用的国語を重視する改革とも、文学的文章を分離する動きとも受け取られている。今後、小学国語や中学国語にも波及して行く可能性がある。

すでに、国語教育において文学を軽視する改革だとして、文学界や国語教育界などの一部から批判の声が上がっている。一方で、これまでの曖昧な国語の学校授業は役に立っておらず、論理的に国語を教えようとする試みには大きな意義があるという意見もある。

いずれにせよ、まだ広く大きな議論になっているとは言い難い状況だ。

私見だが、これまでの学校における国語教育には大きな課題があったと考えている。

これまでの国語教育は、児童や生徒に、どのような力を、どのように習得させるか、曖昧な部分が大きかったと思う。極端な見方をすれば、国語学習の一部の領域では、道徳の授業との違いすら曖昧であったとも感じている。

学校授業と入試問題の関係に注目していただければ、明確になるのではないだろうか。

数学も、英語も、理科も、社会も、学校授業で学ぶことで、入試問題が解けるようになる。逆の言い方をすれば、入試問題が解けるようになりたければ、まず学校授業をしっかり学べばよい。

ところが、このことは、国語には必ずしもあてはまらない。

いくら学校授業を理解しようと努力しても、国語の入試問題が解けるようになるとは限らない。

特に、現代文の読解問題で顕著だ。

文学的文章において極端に顕著だ。

むしろ、国語の授業を蔑ろにしていても、国語の入試問題が解けてしまうということさえ頻繁に起こる。これでは、国語の授業が機能していなかったと言われても仕方がない。この点で、これまでの国語教育には大きな課題があったと考えている。

学習塾や予備校で、そんな国語の授業をしていたら、誰も国語の授業を受けようとは思わないだろう。

もちろん、学校授業が入試問題を解けるようになることだけに目標を置いていないことは承知している。しかし、学校の国語授業は入試問題が解けないことに責任がないとも言い切れないはずだ。

もちろん、国語教育が原因なのか、国語入試問題の出題のされ方が原因なのかは、しっかり検証する必要はある。

しかし、学校授業を受けても解けず、学校授業を受けなくても解ける、というようなことが明らかに起きている状態を放置するのは適切ではない。

英語教育の改革、特に四技能化は、今のままでは失敗するだろうと何度も述べてきた。四技能化を推進すること自体は悪いことではない。しかしながら、四技能英語教育を推進できる体制整備が十分に整っていない。将来に整えられるかどうかもはっきりしない。大都市圏と地方圏で同質の教育が実施できるかどうかという懸念もある。過度に不適切に民間教育機関に依存することになりかねないリスクもある。譲り譲っても、4技能化に、どれだけの効果が期待できるのかさえ定かでない。

一方で、国語教育の改革には期待したいという思いが強い。国語教育から、不自然で不適切な曖昧さを取り除き、客観的で科学的な国語教育を実現する方向に進むのであれば、おおいに賛成したい。

この文科省の国語教育改革の以前から、私立男子校の高輪中学高校の国語教育の取り組みに注目していた。例えば、中1の国語では、「口語文法」、「論理表現」、「作文」などに分けて、具体的で高い到達目標を目指した国語教育を行っている。地元公立中学校が、いまだに曖昧な教育目標を掲げて国語教育を行っているのとは、実に対照的だ。

都立中など公立中高一貫校の多くが、作文や小論文を含む適性検査で入学者選抜を行いながら、入学後には、ほとんどの私立進学校や公立高校進学校と変わらない進学実績重視の教育を行い、適性検査で実現しようとしたような教育とはなっていないこととも対照的だ。

高輪の国語教育については、ホームページの教科紹介でも確認できる。学校説明会で配布される学校パンフレットに付属する資料にも掲載されている。しかしかなり控えめな紹介となっている。もっとアピールしてもいいのではないかと思う。

https://www.takanawa.ed.jp/education/subject/

文科省の国語教育改革を先取したのか、あるいは、従来の国語教育が十分に機能していないことに気がついていて、独自に改革を試みようとしたのかは確認できていないが、非常に好感がもてる国語教育内容だ。

私立男子進学校には、理系重視のカリキュラムが組まれている学校が多いことは周知の通りだ。しかし、高輪は、理系偏重でも文系偏重でもなく、文理にバランスの取れたカリキュラムを編成している。男子だからと言って、全員が理系志望とは限らない。将来に社会科学分野や人文科学分野を目指すことになっても、十分に満足できる教育を受けられることが、高輪の強みであろう。

「学校らしい学校」を目指す。この高輪の教育スローガンが、高輪の教育カリキュラムに具現化されていると思う。

話しは戻るが、これからしばらくは、学校国語教育の改革には、紆余曲折が続くと思われる。

しかし、国語教育に改善の兆しが見えてきたことには、素直に期待したいところだ。

補足するが、現時点では、文科省の国語教育改革には、個人的に懸念していることも何点かある。その点に関しては、いつか国語教育改革を深読みする機会があれば、いずれまた触れたいと思う。