[2020年10月22日]
詰め込み教育とは、いったい何なのか?
しっかり考えてみたことはあるだろうか。
定義を曖昧にしたまま、「猛勉強させること」とか、「勉強一筋を強いること」とか、「難関校を目指した対策のこと」とか、もっともらしく、自己に都合よく、「すりかえ」を行って、定義しようとはしていないだろうか。
Wikipediaには、以下のように説明されているので、引用する。
(引用開始)
「もっぱら暗記による知識量の増大に比重を置く、あるいは知識の増大を目指す教育方法のこと。 」
(中略)
「多量の勉強による基礎学力の早期習得を目指す教育や、短期間にできるだけ多くの事柄の学習を目指す教育のことを指す場合もある。」
(引用終了)
おそらく、「もっぱら暗記による知識量の増大に比重を置く教育方法」を念頭に置いて使っている人が、多いのでないかと思う。
しかし、今どき、「もっぱら暗記」の学習指導を、指導する側から強要しているような、学校や塾や予備校が、どれくらいあるのだろうか。
もし、世間の塾や予備校のほとんどが「もっぱら暗記」の指導だとと思っているとしたら、時代錯誤もはなはだしいのでないか。
「もっぱら暗記」は、高度経済成長期頃までは、実際に行われていた。そうした教育を受けた人が、その記憶から、いまだにそうだと、幻影を見続けているのかもしれない。
今や、「もっぱら暗記」だけでは、中学受験で、御三家私立校や難関私立校の入試にまったく歯が立たない。私立中堅校や私立中位校でも、歯が立たない学校が多い。まあ、漢字の読み書きくらいなら得点できるかもしれない。しかし、それだけで合格できる学校は、ほぼない。むしろ、漢字の読み書きすら、満足にできない受験生が多いことの方が、非常に残念だ。
さらに、「もっぱら暗記」だけでは、高校受験の一般入試で、都立高校の自校作成校だけでなく、共通問題校でも、まったく歯が立たない。共通問題校はマークシート式がほとんどだが、「一問一答」形式の短答式ではないので、問題をじっくり読んで、しっかり考え抜かないと、正答を選べない。むしろ、知識や技能がないから、問題のどこから手をつけたら解けるのかが分からず、途方に暮れる受験生が多いことの方が、残念だ。問題を解き始める前から「わかりません」が始まってしまう。
中学受験でも、高校受験でも、成果を上げようとするなら、「もっぱら暗記」ではまったく太刀打ちできないので、しっかりと合格者を輩出している、まともな指導者であれば、そもそも、「もっぱら暗記」の指導など、していないはずだ。
今さら、「詰め込み教育はしません」と喧伝する人は、いったい何を、意図しているのであろうか。
ただし、保護者や受験生が、自らが、自らに、意図せずに、「詰め込み」をしていることがあるので、気をつけた方がよいかもしれない。
「短期間にできるだけ多くの事柄の学習を目指す」と、陥りやすい。じっくり考えたり、幅広く試行錯誤したりする時間が、絶対的に不足していると、起こりがちだ。
勉強時間の不足、対策期間の不足、先送り、遅れ、過度な目標、嫌々ながらの勉強、勉強しているフリの習慣化、集中力の致命的な欠如などから、受験生親子が、意図せず、結果として、自らを、「詰め込み教育」へと追い込むことは、ある。
しかし、それでは、私立難関校は突破できない。つまり、私立難関校を目指すなら、「詰め込み教育」は、意味がない。だから、まともな指導者なら、絶対にしない。
女子御三家筆頭、桜蔭の、過去問で確認してみる。
平成27年度の「国語」の大問1(100点満点中、50点分が配点)である。大問2(同50点配点)では、200字の論述も求められる。
小問1:・・説明しなさい。(10点)
小問2:・・説明しなさい。(10点)
小問3:・・説明しなさい。(10点)
小問4:・・説明しなさい。(10点)
小問5:・・漢字で答えなさい。(5点)
小問5:・・漢字に直して答えなさい。(5点)
小問1〜4の回答欄は、大きなマスだ。
小問1〜4を見ただけでは、難関私立中の学力試験なのか、公立中高一貫校の適性検査なのか、違いがはっきりしないであろう。
知識だけで、満足な得点が得られるような設問には、まったくなっていない。せいぜい、50点中のうち、10点しか取れない。それでは合格できない。
では、知識や技能は、全く必要がないのか。
逆に、九段の平成26年度の問題で確認してみる。
適性検査1
小問1:・・説明しなさい。
小問2:・・そのまま五字を抜き出して答えなさい。
小問3:・・適切な言葉を本文から探して答えなさい。
小問4:・・説明しなさい。
小問1〜4だけなら、難関私立中学の典型的な学力試験と、見分けがつかない。
小問5:やっと、いわゆる、適性作文である。
しかし、字数が180字以内だから、桜蔭の200字よりも、短い(字数が少ない)。
私立難関校とは違い、公立中高一貫校だけが、国語分野で、長い字数の記述を課すという考えも、視野が狭い。茨城県の並木中等は120字以内(2019年度)だし、神奈川県の平塚中等は150字以内(2019年度)である。いずれも、桜蔭の200字よりも短い。
さて、本題に戻る。
<設問文>筆者は生物の世界に多様性を感じています。あなたが日常生活の中で「多様である」と感じていることについて、次の条件にしたがって書きなさい。(条件は省略)
まず、「多様性」と「多様」を、正確に理解できるかどうかが、最低条件となる。
大人であれば、さして難しくない言葉であるが、小学生に意味を問うと、適切かつ正確に答えられないことが多い。
まず、知識としての語彙力は、絶対的に必要である。
課題文の中から、注釈がついていない語句を、抽出してみる。
多種多様
バイオダイヴァーシティ
認識
論理
装置
開発
頑丈
防衛手段
感覚
外界
明白
事態
世界構築
領域
これらも、大人が観れば、簡単な語彙に思える。しかし、それは、すでに漢字や語句の知識を持ち合わせているからである。小学生が、知識の習得を一切行わず、初めてこららすべての語句に接したら、まず正確に課題文を読み進めることはできない。
これらの中でも「多様性」は、小学生にとって、特に正確に認識することが難しく、説明するのはもっと難しい。
例として、「お父さんと、お母さんは、毎日けんかをする。意見が違うからだと思う。このことから、人は多様であると感じる。・・・」などといった解答がでてくる。
まず、初歩的な間違いとして、家族以外に伝える際に、自分の父や母を、お父さん、お母さんと、呼んだり、書いたりしては、いけない。
次に、内容だが、課題文の趣旨と、設問文の意図が、適切に読み取れていないので、これでは高得点は望めない。
課題文でも、設問分でも、「生物の多様性」にふれている。筆者は、
モンシロチョウとモンシロチョウ
人間と人間
の間にある違いについて、多様性を感じているのではない。
人間とモンシロチョウ
のような違いを、多様性(生物の多様性)と、定義しているのである。
環境に適応するために、さまざまな種類の、植物や動物が、それぞれの戦略で、この世界に存在していると、筆者は述べている。
よって、「戦略的に多様」である何か(ここでは、できるだけ生物がよい)を、日常生活の中から、見つけ出して、理由と根拠を示して、経験や体験もまじえながら、論理的かつ客観的に、どの採点者であっても理解できるように、記述できなければならない。
余談だが、過去問題集の「解答例」も怪しいものが多いので、気をつけた方がよい。特に記述系は、出題校から模範解答が示されないことが多く、学生や経験の浅い塾講師などに、低料金で丸投げして作成したものを、そのまま解答例として掲載していることがあるため、けっこう怪しい。
さて、問題に正しく対峙できないのは、思考力や判断力が足らないのではない。その前に、知識や技能が欠けているのである。
完答するには、さらに「表現力」も、求められる。
小学校で習う漢字を、ひらがなで書いたり、漢字を間違えば、減点される。そもそも漢字が書けなかったり、句読点が正確に打てなかったり、言葉の決まりが守れなかったりするようでは、記述式答案で、高得点を獲得することはできない。ここでも知識や技能を習得しておくことは、絶対的に必要なのである。しかも、それだけでは十分でない。
知識や技能
公式や定理
解法や技法
これらは、他者からの「詰め込み」にならなように、かつ、自己による「詰め込み」にならないように、それぞれ気をつけながら、適切な時期までに、必要な内容を、「主体的」に「意欲的」に、しっかり身につけて、あらゆる場面で活用できるように、しておくべきなのだ。
「思考力・判断力・表現力」のツールやパーツとして、「知識・技能」は、必須なのだ。
「知識・技能」などを、主体的に習得しようと努めるとき、それらを「詰め込み」と呼ぶべきではないだろう。