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三田学院

[2021年5月19日]

【都立中】常識を疑う力

常識とは、世間一般で「あたりまえ」とされている、価値観や判断や知見のことを、一般的には指すだろう。

常識の反対語は、非常識である。

しかし、「あたりまえ」の価値観や判断や知見が、正しいとは限らない。

かつては、天動説が常識であった。
しかし、今は地動説が常識である。

常識が正しいとは限らないし、非常識が間違っているとも限らない。

科学技術の発展は、人々を豊かにし、安全にし、健康にし、幸せにした。

しかし、科学技術の発展は、自然環境を汚染し、生態系を歪め、生命環境を悪化させた。

ところが、さらなる科学技術の進歩は、環境汚染を浄化し、生態系を回復させ、生命環境を改善しつつある。

ある知の巨人が、科学技術の進歩は人類だけでなく地球上のあらゆる生命に危機をもたらすと主張し、それが論理的で客観的で十分な証拠が示されていて納得できる内容だったため、多くの人がその主張を受け入れ、科学技術を発展させることはやめるべきだと考えるようになったとしよう。

つまり、ある時点で、科学技術を進歩させることは良くないことだという「常識」が形成されたことになる。

さて、あなたは、この「常識」に対して、どう向き合うだろうか。

あなたは、ある知の巨人が示した「意見」、「論理」、「客観性」、「証拠」を、ただ鵜呑みにするだろうか。

あるいは、あなたが独自に、意見の正当性や、意見の論理性や、証拠の客観性や適切性を、検証してみようとするだろうか。

かつては、天動説が常識であった。
しかし、今は地動説が常識である。

常識は疑ってみるべきである。

常識を疑ってみるには、知識・技能、思考力・判断力・表現力が必要である。

よって、誰もが常識を疑うことができ、誰もが新たな常識を発見できる訳ではない。

しかし、常識を疑う力をもち、新たな常識を発見できる人材でなければ、次世代の真のリーダーとはなれない。

なぜ勉強するのか?

常識を疑ってみる力を養うためである。
新常識を導き出す力を養うためである。

その力こそ、生きる力であり、
困難を生き抜く力なのだから。

学びの本質は、ここにある。