[2021年6月1日]
巷には、個人の合格体験談が、あふれている。
こうした個人の合格体験談を、参考にする人も多いだろう。
しかし、個人の合格体験談は、あてになるのだろうか。
多くの場合、個人の合格体験談で語られる合格事例は、ごく少数の事例だ。
わが子、1人だけ、というのがよくあるパターンだ。
多くても、わが子、2人とか3人であろう。
しかも、わが子全員を、合格に導いた体験談になると、その事例は極端に少なくなる。
つまり、何かの法則や規則を導き出すためのサンプル数としては、あまりにも少なすぎるということだ。
わが子全員の少ないサンプル数で、全員を合格させましたと言っても、確率論的には、取りうる組合せの一つに過ぎない。ただの偶然かもしれない。
わが子全員の少ないサンプル数で、合否が分かれたのだとしたら、合格も不合格も、ただのランダムな結果としか言いようがない。
もう一つ、気をつけるべきことがある。
合格した親子はそれまでの経緯を肯定的に解釈しがちだが、不合格になった親子はそれまでの経緯をすべて否定的に解釈しがちだということだ。
つまり、合格した人は自分が取った対策は正しかったと思いがちで、不合格になった人は自分だ取った対策は間違っていたと思いがちだと言うことだ。
合格体験談は、客観性が乏しい状況で、自分の取った行動を美化するという過ちを犯しやすい。
たとえそれが、誤った行動であったとしてもである。
不合格体験談は、客観性が乏しい状況で、自分が取った行動を卑下するという過ちを犯しやすい。
たとえ、それが正しい行動だったとしてもである。
何かに頼りたいという気持ちは十分に理解できる。
しかし、何かに頼りたい気持ちが強いほど、洗脳や催眠に陥りやすい。
他人の体験談を参考にしようとするときには、十分な注意が必要である。
意見に客観性はあるか、理由は合理的か、根拠は適切か、十分な証拠があるか、一般化できるのかなどを、十分に検証してから、取り入れるべきであろう。