[2021年6月3日]
常識を疑う力について、先月、書いた。
疑うと聞くと、なんだか性格が悪そうに聞こえてしまうかもしれない。
そこで、正しいかを検証する、と言い換えてみる。
「正しいかどうかを検証できる力」
これだと、性格が悪く聞こえないのではないだろうか。
でも、おなじことを言っていることにも気がついてほしいと思う。
前回は、「天動説と地動説」を例にあげて説明したが、すでに答えが分かっていることなので、インパクトがなかったかもしれない。
そこで今回は、現在進行中のテーマである「環境問題」を例にしようと思う。
地球環境を守るために、石油や天然ガスなどの化石燃料の大量消費を前提とした文明のありかたを見直そうという意見をよく聞く。
二酸化炭素や窒素酸化物やフロンガスなどが原因で、地球温暖化が進行し、異常気象や海面上昇などで、世界の人々の暮らしが脅かされているので、脱炭素社会(脱化石燃料社会)の実現を推進しようとうものだ。
適性検査の文系分野で頻出のテーマでもある。
しかし、中学受験の基礎的な理科や社会の勉強をしていると、地球の大気中における二酸化炭素の割合は、ごく微量のままだということを知ることになる。それどころか、二酸化炭素が欠乏すると植物や植物プランクトンなどが光合成できる最大の条件の一つが失われることも知ってしまう。
そこで、脱炭素化は、果たして地球環境をまもることを目的として叫ばれるようになったのだろうかという疑問が起る。
視点を変えて考えてみよう。
石油や天然ガスを大量消費しない社会となたっとき、最も困るのは、誰だろうか。
石油や天然ガスを大量消費しない社会となって、誰かが困ることで利益を得るのは、誰だろうか。
あるいは、そうした人々は、いないのだろうか。
そこまで考えを広げ深めたとき、環境問題の本質が見えてくるのではないだろうか。
地球は寒冷化に向かっていると証拠を示して主張する優秀な地球物理学者もいるが、そうした研究成果はほぼ抹殺されているという現実も知っておいた方がよいかもしれない。
おなじような頻出テーマの一つに「野生動物との共生」がある。
野生動物は可哀そうだから保護しましょうとか、文明発展の犠牲になっているから守ってあげましょうとか、動物愛護団体的な発想では、まったく本質は見えてこないはずだ。
野生生物の生息数が変化すると、食物連鎖が崩れ、いずれ人類に悪影響が及ぶという理由から、現在存在する野生動物との共生がこれからも必要なのだという見方からも、本質は見えてきそうにない。
なぜなら、野生動物と共生しましょうなどという意見自体が、誰かが考え言い出し広まった意見にすぎないからだ。間違っているかもしれないのだ。
人類による文明の発展や工業化の進展がなくても、地球上の多くの種が、ほぼ毎日のように絶滅している。人類が地球上に現れる前から、地球上の多くの生き物が絶滅を繰り返してきた。
動物との共生を提唱する意見に、悪意や陰謀などが隠されていないかまでを検証してみて、ようやく野生動物との共生はどうあるべきかの、本質が見えてくるのだと思う。
次世代のリーダーとは、誰もが思いつくようなことをしたり、誰もが考えつくようなことを言ったりする人のことではない。
そんなことは誰にでもできる。
リーダーの資質など必要ない。
みんなと一緒に、太陽が地球の周りを回っている、と言い続けるようなものだ。
新しい時代を切り開くリーダーには、正しいか否かを検証できる力が必要なのだ。