[2021年7月7日]
知らぬが仏
高校受験生なら、その意味くらいは、知っていよう。
「知ってしまうと腹が立つが、知らないので仏のように穏やかな気持ちでいられること。また、本人だけが知らないで平然としている様子を周囲があざける様子。」
なかなか手厳しい。
しかし、本人にとって不都合な真実を、本人は知らないままでいられるなら、幸せなこともあるのかもしれない。
ただし、最後まで知らないまま、人生を終えれれる場合に限られるだろう。
ほとんどの場合は、いずれ、どこかで、真実を知ることになる。
その時期は、人それぞれであろう。
中学受験や高校受験では、知らず知らずのうちに、己の立ち位置を確認することになる。
無邪気な幼稚園児なら、行きたい中学や高校は、開成だ、桜蔭だ、などと答えるかもしれない。
おなじように、行きたい大学は、東京大学だ、スタンフォードだ、ケンブリッジだ、ソルボンヌだ、などと答えるかもしれない。
ところが、高校受験では、多くの人が、受験勉強にさえ、まともに取り組めない自分と向き合うことになる。
その前に、多くの人が、定期テストにさえ、まともに取り組めない自分に向き合うことになる。
どこでもよければ、高校には入学できる。
ちょうど入れる高校に進めば、似たような仲間ばかりの中で、また穏やかな日々を送ることができる。
ところが、大学受験や就職試験で、また上手くいかない自分と向き合うことになる。
しかし、何でもよければ、何らかの仕事には就ける。
その職場でも、また同じような仲間に出会える。
どこでもよければ、住む場所はみつかるだろう。
だれでもよければ、結婚相手もみつかるだろう。
どんなに頑張っても、ヒトはヒトでしかない。
どんなにさぼっても、ヒトはヒトでしかない。
どんなに頑張っても、ヒトは神にはなれない。
どんなにさぼっても、ヒトは猿にはならない。
より幸せな生き方を知らなければ、穏やかな気持ちでいられる。
より豊かな生き方を知らなければ、穏やかな気持ちでいられる。
命を全うするまで、何も知らない方がよい。
この世を去るまで、何も知らない方がよい。
スタンフォードなど、知らない方がよい。
ケンブリッジなど、知らない方がよい。
何も知らない方がよい。
何も知らない方が幸せだ。
何も知らない方が、仏のような気持でいられる。
周りにあざけられても、気にしなければ幸せだ。
そうした生き方も、あるのかもしれない。
でも、そうした生き方を、最後まで、全うできるかどうかは、わからない。