[2021年7月24日]
東京オリンピック・パラリンピック2020が開幕した。
感染症が収束しない中でオリンピック・パラリンピックを開催するのはよろしくないという意見もいまだに根強くあるようだ。
法律の専門家までもが主張し始めるとなると、何かが違うような気がしなくもない。開催の可否は法律で裁かれるべきものなのだろうか。
もし、感染症ではなく、大規模洪水や大規模地震が発生したのなら、やはりオリンピックは開催しない方がよいのだろうか。開催できるのなら、開催するというので、よいのではないだろうか。
開催に向けて尽力されてきた人々や、開催に向けて練習に励んできた選手たちの努力にも、報いてあげるべきではないだろうか。
オリンピックはダメで、世界大会や世界選手権ならよい、のだろうか。なぜオリンピックだけがヤリ玉にあがるのか、理解しずらい。
オリンピックを開催するのはよくないという意見の根拠がよくわからない。
おなじように、入学者選抜のある公立高校や公立中学で、男女別定員があるのがよくないという意見の根拠も、説得力が十分でないと思う。
そもそも、東京都の公立高校、つまり都立高校の定員は、その春に中学校を卒業する人たちの人数に配慮して決定されるようになっている。
つまり、男子定員と女子定員は、それぞれ公立中学を卒業する人数によって決められ、それぞれの学校に配分されることになっているのだ。
都立高校の総定員が、そのように決められているのも、よくないことなのだろうか。
卒業生の男女別人数などおかまいなしに定員を設けたり、合格者を出していたら、都立高校に進める人数が、男子と女子で大きく差が開き、それこそ、性別による不公平が生じてしまう。
こちらのジェンダー問題には、どのような意見を示すのだろうか。
現在の男女別定員は、そうした男女別の不公平を回避するために設けられているということも、知っておくべきだろう。
もし、男女別定員を撤廃したら、どうなるだろうか。
男子校みたいな共学校、女子校みたいな共学校が、無数に発生してしまう可能性がある。もちろん蓋を開けて見なければ、どの程度は発生するかはわからないが、過去の志願状況からは、かなりの学校数になるだろうことは予想される。
男女別学の私立高校を目指しているならよいが、共学の都立高校への入学を希望しながら、蓋を開けてみたら、実質男子校や実質女子校に進学することになっても、なんら気にならないのだろうか。
そもそも、共学教育を行うこと前提にした学校でありながら、入学者のほとんどが男子だったり女子だったりするのは、学校運営上、あるいは教育上の観点から、許容できることなのだろうか。
本来は共学校でありながら、男子が極端に少ない共学校、女子が極端に少ない共学校に、受験生が魅力を感じるのかどうかも含め、男女定員の撤廃の議論は進めるべきだろう。
男女で入学難易度が違うことも、実は事前にわかっていることなので、それをふまえて受験校を選ぶというのでは、どうしても納得いかないのだろうか。
実は私立学校へも助成金が支給される他、生徒の保護者が支払う私立高校の授業料の無償化資金も公費から支給される。
私立学校の受入キャパシティも考慮して、地域の高校全体の受入定員を定めないと、公費が適切かつ効率的に配分されないリスクもある。
何事も、誰もが完全に納得がいく制度など、実現することは難しい。
どこに、適切な妥協点を見出すか、議論し尽くすしかないのだと思う。
あまり極端な政策に走り、その結果として、さらに多くの人が苦しむことになり、後で後悔することにならないことを、望む。