[2021年7月25日]
オリンピックから学ぶことは多い。
ニュースでダイジェストを観ていると、メダル候補が予選で敗退したとの知らせに驚く。
実力があり用意周到に準備してきた強者でも、あけなく敗退することがあることを、改めて知らされた。
強者が常に勝つとは限らない。
その意味で、記録や歴史も、すべてが必然ではなく、偶然の要素も多分に含まれた事象だと理解すべきかもしれない。
誰もが知る歴史の史実に「桶狭間の戦い」がある。
圧倒的な兵力を誇る今川軍が、御家騒動や内紛から弱体化していた織田軍に、歴史的な敗北をする。
もし順当に織田軍が敗北し滅亡していたら、日本の歴史は大きく違ったものになったであろう。
織田信長が上洛することもなかったであろうし、豊臣秀吉が天下を取ることもなかっただろうし、関ヶ原の闘いもなかっただろうし、徳川家康が天下人に登り詰める機会もなかったかもしれない。
太平洋戦争初期、当時世界最強の海軍力を誇った日本帝国海軍が、ミッドウェー海戦で満身創痍の米国海軍にまさかの大敗を喫する。
この海戦で日本海軍が勝利していたら、日米による早期和平の道が開けたかもしれない。そうなれば日本の無条件降伏も、広島長崎の原爆投下も、大日本帝国の国体の解体も、日本国憲法の発布も、なかったのかもしれない。
特攻攻撃は発案も実行もされず、「永遠のゼロ」という小説も生まれなかったかもしれない。シベリア抑留も、満州引揚の悲劇もなかったかもしれない。
勝負の世界で、勝者は必然的に決まるとは限らない。
実力がありながら、敗北するする者もいる。
勝者は善で、敗者は悪とも、限らない。
勝者は、常に、謙虚でなければならない。
時に、勝敗は必然なのか偶然なのか判然としない。ならば、勝者は敗者にも配慮し、勝者でも敗者でもない者にも配慮して、その勝利を活かしていくべきであろう。
必然であれ、偶然であれ、志望校に合格できた者は、無念の結果になったライバルたちのことにも、思いをはせるべきだろう。
リーダーの切符を手に入れた者は、己の幸せの実現だけを目指して、その切符を使うべきではない。敗者がいなければ、勝者にはなれなかったはずだ。
勝者となっても、敗者らと共に、次の時代を生きて行くことになる。
勝者の責任は重い。
勝者の責任の意味を理解でき、その責任を果たせる者にこそ、真のリーダーとしての資格があるのではないだろうか。