[2021年8月25日]
牧歌的な受検生を待ち受けている末路について、考えてみる。
まず、世の中の現実を確認しておく。
誰にでも、難関国公立大学に合格できる可能性がある訳ではない。
誰にでも、最難関私立大学に合格できる可能性がある訳ではない。
ところが、
都立中なら、誰にでも合格の可能性があると、思い違いをする親子が、いまだに後を絶たない。
しかも、そう考えている親子ほど、合格の可能性は、低い。
さらに、学力不足なのに、そう考えている親子ほど、低い。
誰もが合格できないのには、理由がある。
まず、定員がある。定員を超えて合格者を出すことは、できない。
次に、競争がある。競争を勝ち抜いた者しか、入学を許されない。
ところが、
都立中なら、誰にでも合格の可能性があると、思い違いをする親子が、いまだに後を絶たない。
競争を勝ち抜いた、定員までの受検生にしか、合格はない。
都立中の合格競争は、熾烈を極める。
都立中の定員は、概ね、160人だ。
誰にでも合格の可能性がある訳ではない。
しかし、
大手塾は、誰にでも都立中に合格できる可能性があるかのような勧誘をして、合格できそうにない受検生でも、自塾に誘い込む。
大手塾は、誰にでも都立中に合格できる可能性があるかのような雰囲気を漂わせ続けて、合格できそうにない受検生を、最後まで自塾につなぎ止める。
大手塾は、誰にでも合格できる可能性があったかのように慰めて、不合格後も受検生をつなぎ止める。
大手塾は、誰にでも難関高校に合格できる可能性があるかのような勧誘をして、合格できそうにない受験生を囲い込む。
大手塾は、誰にでも合格できる可能性があったかのように慰めて、高校受験で残念な結果に終わった後に、慰労してお別れをする。
受検生は、受験生は、もう、やり直せない。
注ぎ込んだ時間や苦労は、水の泡と消える。
ところが、
誰にでも合格できる可能性があったと思い込まされてきた、騙されやすい受検生親子や受験生親子は、違和感を持ちながらも、また新たに歩み出すしかない。
その先には、何があるのだろうか。