[2021年9月2日]
中学受験をするかしないかの判断基準は、大きく2つに分かれる。
中学受験が盛んな地域では、中学受験をしない理由があるかどうかが、中学受験に参入するかどうかの、判断基準となる。
一方で、
中学受験が盛んでない地域では、中学受験をする理由があるかどうかが、中学受験に参入するかどうかの、判断基準になる。
おなじようであっても、全然違う。
例えば、中学受験が盛んな都心地区では、過半数の小学生が中学受験をし、ほぼ半数近くが、地元公立中学には進学しない。中学受験をしないと周りに言えば、何か中学受験をしない事情があるに違いないと思われることを心配しなければならないだろう。
逆に、中学受験が盛んでない地域では、地元公立中学へ進学する小学生が大多数となる。中学受験をすると周りに言えば、何か中学受験をする事情があるに違いないと思われることを心配しなければならないだろう。
つまり、
中学受験が盛んな地域では、中学受験しない理由があるかどうかが判断基準となり、
一方で、
中学受験が盛んでない地域では、中学受験する理由があるかどうかが、中学受験の判断基準となる。
それぞれにおいて、周りへの見方も、周りからの見られ方も違う。
中学受験が盛んな地域でも、地元公立中学が荒れている訳ではない。そうした理由で中学受験を選択するのは少数派だ。多くはもっと積極的な理由で中学受験を選択している。もし、地元公立中学が荒れていないという理由で中学受験をしない、と言えば「えっ、そういう理由でしないの?」と思われるであろう。
ところが、中学受験が盛んでない地域で、地元公立中学が荒れていないから地元公立中学に進学すると言っても、なんら奇異な視線を受けることはないだろう。
もちろん、個人差はあると思う。
しかし、中学受験しない理由が必要な地域と、中学受験する理由が必要な地域が、あるということだ。
中学受験をしない理由が必要な地域では、親の都合で子に中学受験をさせないと、子を不幸にするのではないかと、親は不安になる。
反対に、
中学受験をさせる理由が必要な地域では、親の希望で子に中学受験をさせると、子を不幸にするのではないかと、親は心配になる。
どちらも、子のことを考えて心配しているつもりが、実は、己の判断が世間の多くと違うことを心配しているだけだということに、気がつくべきだろう。
子の将来を真剣に心配するなら、周りの判断の傾向や、地元公立中学が荒れているかどうかは、最重要な判断要素ではないはずだ。
子の将来を心配しているつもりが、親は同調圧力に屈するべきか否かを、親は正常性バイアスに屈するべきか否かを、ただ悩んでいるだけにすぎない。
話しが長くなるといけないので簡潔につけ加えるが、受験するか否かを子に決めさせるのは、中学受験においては賢明な判断とは言い難い。
10歳前後の世間知らずの子供に、判断させるような案件ではない。
子の将来を見据えて、親が適切に判断してあげるべきである。