[2021年9月10日]
この夏、ある都立中の生徒十数人と、けっこうな長時間、立ち話しをする機会があった。
みなさん、おなじ都立中に通う生徒である。
ざっくばらんな話題で、立ち話しをした。
ある大学教授のことを引き合いに出して話したら、その研究者のことを詳しく知らなかった生徒たちもいたが、その場でスマホを使って一瞬にして検索して、誰も遅れずに話しについてきてくれた。
ただ遊びでスマホをいじくっているようにしか見えないスピードで、正確に検索ができることに、深く感心した。
彼らは、未知のことでも、一瞬にして既知にできるようだ。
スマホが悪か否かが論じられることがあるが、それはスマホの使い方に依存するので、不毛な議論だと感じ取った。
中学入試か高校入試か大学入試かを問わず、思考力や判断力や表現力が問われるようになったが、それは知識や技能を否定するものではないというのが、最新の共通認識となりつつある。
知識や技能は使いこなしてこそ、習得する意味がある。
使いこなすためには、思考力や判断力や表現力も必要になる。
最新の脳科学では、学習をしていないアイドリング状態の脳も、活発に活動していることが分かってきている。
しかも、このアイドリング状態が重要で、ひらめきはもちろん、新しい発見や、今までわからなかった何かがわかるようになるということが、このアイドリング状態で起こっていることも分かってきている。
アイドリング状態の脳では、それまでに取得した知識や技能が、ただ重層的に蓄積された状態から、知識や技能の新たな結合を創り出し、新たな発見につながることも、徐々に分かってきつつある。
つまり、思考や分析や表現は、知識や技能の発展的な結合によって生まれるということだ。
適性検査入試では、単なる知識や技能は問われないという人がいるが、そうではない。
思考力や判断力や表現力を通して、どれだけ知識や技能を持ち合わせているかも、さらには、その知識や技能を使いこなせるかも、問われているのだ。
誤った適性検査対策を続けていても、都立中には合格できないし、知識や技能を不適切に軽視しても、新しい大学入試で難関大学には合格できないということだ。
難関都立中に合格した人たちは、誰かに言われなくても、そのことを十二分に理解し、そして実践できているのだ。