[2021年10月14日]
地球温暖化の話題が絶えないが、地球が誕生してから約46億年の間に、寒冷化した「氷期」と、温暖化した「間氷期」が、約10万年サイクルで繰り返されてきたことは、地球物理学者の間では常識である。
地球の海面は、この10万年のサイクルで、約100メートル以上も変動していたことも分かっている。
日本の縄文時代、海面は今より5mほど高かった。おもな縄文住居跡や貝塚は、当時の海岸線近くの高台に立地しているので、かつてはどこまで海だったか(縄文海進)をうかがい知ることができる。
この10万年サイクルは、太陽と地球の位置関係のわずかなズレから生じる。このことを発見したミランコビッチにちなみ、「ミランコビッチ・サイクル」と呼ばれている。
縄文時代、渋谷や四谷も海面の下であった。埼玉の川越まで海岸線が迫っていた。一方で、大田区の大森貝塚や、港区の亀塚貝塚など、現在の海に近い高台は、海面より上にあり続け、縄文人の好みの生活地であった。今も地価が高いエリアだが、縄文時代も高級な住宅街だったのだ。
三田3丁目の第一京浜道路や、三田2丁目の桜田通り(国道一号)は、かつての海岸線に沿って走っている。三田の高台との間にある崖は、舌状台地の縁を波が削った海食崖である。
当教室も、この海食崖に沿って立地している。太古の昔は、ここを縄文人が何度も行き来したことだろう。
いまより3度ほど気温が高かったとされる縄文時代だが、最近の研究では、人類や動植物は、かなり幸せに
暮らしていたことが分かってきている。気温上昇は必ずしも人類や動植物を不幸にするとは限らないようである。
このミランコビッチ・サイクルに従えば、そう遠くない未来に、地球はまた「氷期」になる。最大で海水面は100m以上も低くなることになる。そうなると、イタリアのベネチアも高台になってしまう。
かつて、東京湾は陸地だった。現在の東京湾の海底には「古東京川」が流れていた痕跡が確認されている。
人類は、よい意味でも、よくない意味でも、大宇宙の現象である「ミランコビッチ・サイクル」に、逆らうことができるのであろうか。
現状維持に過度に固執しても、宇宙の巨大な力に、人類は逆らえないような気もする。
もっと大きなことに目を向けないと、縄文人よりも幸せになれないのかもしれない。
次世代のリーダーには、地球規模ではなく、宇宙規模の視野で、難題を解決してくれることを期待する。