[2021年10月18日]
幸せとは何か?
衆議院議員選挙が始まるが、今までと争点が大きく違うことにお気づきだろうか?
今、そして近い将来に、日本の国民というか住民が直面する問題は、戦後の高度成長期や、バブル経済期や、バブル経済崩壊後や、リーマン・ショック後や、東日本大震災後とは、もはや大きく違うし、新型感染症の拡大で直面した当面の課題とも、実は違う。もちろん、新型感染症の拡大であぶりだされた根本的な課題はある。
新しい論点は、一言で言うならば、衰退期の日本と、それに伴う人々の暮らしの衰退に、どう立ち向かうかである。
IMFやOECDの調査で、日本の国民一人当たりの所得が、お隣りの韓国に抜かれたことは、すでに述べた。
主要先進国が、ここ30年で、国民一人当たりの所得を大きく伸ばしている中で、先進国では日本だけが、横ばいを続けたことも述べた。
日本は、この30年で、明らかに、貧しくなってしまったのである。
しかも、このまま何も対策をせずに待ち続けても、課題解決を先送りしても、明るい未来が戻ってくる可能性はない。
政治家も、有権者も、うすうす気がついてはいたが、そろそろ本格的に認識して取り組まないと、さらに状況は悪化しそうなことが、はっきりしてきてしまったのである。
近年の中学受験の過熱も、個人レベルでなんとかしたい、という思いの現れだろうと思われる。
しかし、個人レベルで、日本の抱える課題をすべて解決することなどできない。中学受験だけに限ると、さらに限定的だ。それどころか、競い合うだけでは、どんどん少なくなる富を、より厳しく奪い合うだけで、全体としては何も良くはならない。
国政における政策とは、つきつめれば、税金で集めた国家予算を、どのように配分し、どこにより多く投入するか、でしかない。
消費善減税を唱えるのはよいが、すでに国家財政は赤字が続いているので、どこで収支のバランスを改善するのかという議論と共に行わなければ、いずれ立ち行かなくなるし、借金の次世代への先送りでしかなくなる。そして、いつか必ず、先送りできなくなる。
もちろん、増税すれば改善するだろうが、それでは冷え込んだ個人消費を引き上げることは難しい。
日本が直面している課題は、実に深刻なのである。
中学受検に成功して、その先も成功して、限りある富を、より大きな割合で獲得できたとしても、富の総量が小さくなっていけば、苦労した上で手に入る富も小さくなっていくことになる。
つまり、だれもが、それぞれに、もっと貧しくなる、ということだ。
富の総量を増やすしか、みんながより幸せになる道は、ないのではないだろうか。
どうやって、富の総量を、持続的に、増やしていけるようにするのか?
国民一人一人が、真剣に考えるべき時期にきている。
中学受験も、高校受験も、大学受験も、そうした視点の延長線上で考えないと、本当の意味で満足できる結果には、ならないであろう。
中学受験で成果が出なかったら、高校受験で頑張る?
そんな狭い了見だけで将来を考えていたら、いつのまにやら、思い描いていた将来からは、大きく外れてしまうリスクが大きい。
受験も、選挙も、命懸けで判断しなければならないのだ。
今に始まったことではないが、もう待ったなしであろう。
目先のことばかりに目を奪われていると、幸せにはなれない。
今の日本の現状が、そう示してくれているように思う。