[2022年4月10日]
ある民放の番組で、
「進学校に進んでも、普通の学校に進んでも、将来の収入は同じになる」
という、ある海外有名大学の日本人助教授(準教授)の知見(別の研究者の研究結果)を紹介していた。
これを視聴した人たちの中には、勉強して良い学校を目指しても意味がないのではないかと感じたかもしれない。番組に登場していたタレントたちの中には、そう解釈したと思われる人もいた。
この誤謬は、この研究結果を正しい言葉で表現すれば、解消する。
「おなじ能力であれば、進学校に進んでも、普通の学校に進んでも、将来の収入は同じになる」
つまり、放送内容の編集の中で「おなじ能力であれば」よいう前提の言葉が、編集の課程でなぜか削除されていたので、全くちがう内容に聞こえてしまったのである。
その証拠に、登場したこの助教授は、研究内容について、「1点差違いで合格になった受験生と、1点差違いで不合格になった受験生を、非常に大きな母集団で遺跡調査したことからわかったこと」と付け加えていた。
よって、
「どんな能力の人であれ、進学校に進んでも、普通の学校に進んでも、将来の収入は同じになる」
ではなく、
「おなじ能力であれば、進学校に進んでも、普通の学校に進んでも、将来の収入は同じになる」
なのである。
前者だと腑に落ちない人であっても、後者であれば納得がいくであろう。
前者の言い回しを喜んだ人は、残念ながらメディアに騙されることを望んでいた人ということになる。
おなじ番組では、
「将来の収入は、優れた指導者に指導を受けた人は、受けなかった人より、多くなる」
ということも紹介されていた。これは正しい。
分かりやすい事例としては、オリンピックなどのメダリストが、国籍などが違っていても、おなじ優秀な指導者に指導を受けていることを思い出していただければ、容易に納得できるであろう。
では、「おなじ能力の人」が、どの学校に進学したかで将来の収入が違わないなら、進学校に進む意味はないのでないかという疑問が湧くであろう。
これについては、番組の中でも紹介されていたが、進学校と言えども優秀な指導者ばかりではないという実態があるということから説明がつく。
実は、優秀な指導者は散在していて一箇所には集まっていない。進学校であっても優秀な指導者ばかりではないし、公立校であっても優秀な指導者がいない訳ではない。
このため、調査対象のサンプル数(標本数)を増やせば増やすほど、
「おなじ能力であれば、進学校に進んでも、普通の学校に進んでも、将来の収入は同じになる」
が、成立する。
しかし、一方で、
「将来の収入は、優れた指導者に指導を受けたか、受けなかったかで、大きく違う」
結論として、
「発達段階の可能な限り早期の段階から、優秀な指導者から指導を受け続けられたかどうかで、将来が大きく違ってくる」
ということになる。
当たり前と言えば当たり前である。
しかし、
納得の結論なのではないだろうか。
「進学校に進んでも、優秀な指導者から指導を受けられるとは限らない。」
「大手塾に進んでも、優秀な指導者から指導を受けられるとは限らない。」
よって、「進学校に進んだだけでは、大手塾に通っただけでは、成功するとは限らない」のである。むしろ、「成功には直接には関係ない」と言った方が正確かもしれない。
成功したければ、どうしたらよいか、お分かりになったであろうか。
もちろん、優秀な指導者に出会えたとしても、その指導に従わなければ意味はない。