[2022年7月10日]
都立中と公立中高一貫校の凡その難易度を概観しておこう。
偏差値70前半:小石川、県千葉
偏差値60後半:都立武蔵、東葛飾、横浜南、横浜SF
偏差値60中盤:九段、都立両国、並木、市立稲毛、相模原
偏差値60前半:大泉、富士、白鴎、南多摩、立川国、市立浦和、仙台二華
偏差値50後半:楠隼、鹿児島玉龍、伊奈学園、日立第一
先日の東大合格者数ランキングで取り上げた公立中高一貫校のみで表示した。
偏差値分布は「一様分布」ではなく「正規分布」するので、偏差値が60中盤より上は極端に分布数が少なくなる。偏差値40から60の間に約68%が分布するが、偏差値60〜+無限大の間には16%しか分布しない。偏差値60を超えると、さらに分布は少なくなっていく。偏差値70以上というのは、全受検生の2%しかいない。全受検生が10,000人なら上位200人程度しかいない。
つまり、難易度は、一次関数的には上下せず、指数関数的に上下する。
よって、偏差値50後半までと、偏差値60前半からでは、非常に大きな難易度の差があることを理解しておいていただきたい。
それ以上に、持ち平均偏差値が50を切ってしまうと、致命的な劣勢になることも、理解しておいていただきたい。
楠隼の魅力はここにある。報告書や適性作文や面接で失態をやらかさない限り、偏差値60以上の受検生なら、ほぼ確実に合格できる。費やした努力に対してのコスパが非常によい。しかも、大学進学実績は偏差値60以上の公立中高一貫校に匹敵している。
一方で、都立中の場合、報告書満点だけでは不合格になり、偏差値60以上だけでも不合格になり、報告書満点で偏差値60以上でも多くは不合格になる。楠隼に比して、努力に対するコスパが、非常に悪い。極限まで努力しながらも、地元公立中や低偏差値適性検査私立に進むことを余儀なくされる受検生が多い。適切な受検指導を受けない限り、高い合格率は望めない。
大手塾は、トップエンドの受検生を、乱獲によって、ほぼ独占的に確保していながら、低い合格率しか達成できていない。これは適性検査型指導大手だけでなく、学力試験型指導大手でも、起きている。
カリキュラムやテキストだけでは合格できないことの証明である。
ちなみに、高校偏差値しか馴染みにない方は、このゾーンなら、プラス7ポイントしていただくと実態に近くなる。
小石川は高校受験偏差値の上限に達し、楠隼は都立三田高校か都立上野高校の難易度に近くなると考えてよいだろう。
つまり、全国の難関公立中高一貫校は、都立高校の一番手(都立日比谷など)から三番手(都立三田など)に、匹敵するか凌駕するような難易度に、なっているのである。
この観点から、難関公立中高一貫校の入試は白熱し過ぎていて、難易度のインフレが厳しいので、おなじ実力があるならば、あえて高校受験に廻った方が、有名進学校に合格できる可能性は高くなると言えるかもしれない。
公立中高一貫校への合格が確信できないのなら、いつまでも適性検査対策に固執し続けずに、学力試験である高校受験対策に、早期に切替えた方が、成功する可能性は高くなるだろう。
適性検査での成功を過度に追いかけ過ぎると、あるいは、適性検査で成功する夢を見すぎると、入試問題が全く異なり適性検査ではない高校受験での成功を、逃してしまうリスクがあるのだ。
公立中高一貫校に残念になったら、地元公立中学から公立高校進学校を目指す方針の親子には、初めから公立高校進学校を目指した準備をする方がフィットするであろう。
公立中高一貫校がなかった時代には、難関公立高校を目指す受験生は、小4や小5から高校受験対策を開始したものである。これは大都市圏に限られた実態ではない。むしろ地方でこそ、小学生のうちから熱心に高校受験対策をしている。その結果が、文科省の全国学力調査にも表れている。
公立中高一貫校に残念になったら地元公立中学から公立高校進学校を目指す方針の親子こそ、間違った小学生時代を送ってはいけない。
公立中高一貫校に残念になったら地元公立中学から公立高校進学校を目指す方針の親子にとっては、高校受験対策をしっかり進めながら、もし余った力があるのなら公立中高一貫校の対策もするというスタンスが、ちょうどよい。
もっと言えば、公立中高一貫校に残念になったら地元公立中学で良いのなら、小3や小4の初めから地元公立中学へ進む道を選択し、小3や小4の初めから高校受験の対策をするのが最適解である。
なぜなら、高校受験は適性検査ではないからだ。
さらに、高校受験は私立中学入試の学力試験とも違うからだ。
都立中受検よりも、そもそも合格できる確率が高くなり、都立中よりも魅力的な学校に進める可能性が高まるからだ。
しかし、今や、小学生に高校受験指導を適切に行う塾が、都内では、ほぼなくなってしまった。とても残念なことである。多くは小規模塾であったが、すでにそのほぼ全てが、大手塾による生徒の乱獲により、駆逐されてしまった。
多様性を叫ばなければ多様性が実現できない世の中は淋しいが、思考力を叫ばなければ思考力が育成できない世の中はもっと淋しい。
画一性をよしとする風潮が、多様性を失わせ、思考力を減衰させているのかもしれない。
貧困が結果として貧困を再生産してしまうように、思考力のなさが結果として思考力のなさを再生産してしまっているようにしか見えない。
誰かのマネをするのではなく、多くの人と同じ道を選択するのでもなく、自ら考え、自ら判断し、行動できるようになることこそ、大切である。
自ら考えて、自ら判断したつもりが、画一性の罠に囚われている人が多いようにも見える。
本当に自ら考えて、本当に自ら判断したのか、深く己を見つめ直してみるべきであろう。