パソコン版を見る

三田学院

[2022年8月12日]

盛夏に思う

8月6日に広島で、8月9日に長崎で、80年近く前のことではあるが、核兵器が使用された。最近になってまた、核兵器使用の脅威が高まっている。

初めて核兵器が使用されて1世紀近く経つというのに、核兵器の脅威は消えていない。この間に、核兵器の廃絶に向けて多くの方がご尽力されたことは承知している。しかし残念ながら、核兵器廃絶の希望はむしろ遠ざかった感さえある。

希望に満ちた若き日、世の中の景色は希望に満ちているように見えた。
希望が薄れ果てた日、世の中の景色に希望を感じ取ることができない。

かつては、全国の津々浦々に希望が満ち溢れていたように思う。
しかし今、一部を除けば活力も希望も感じられないように思う。

過去を知らなければ、その変化には気がつかないかもしれない。
あるいは、大都会の真ん中にいては気がつかないかもしれない。

少子化が深刻な地域だけではない。
人口が減少していない地域や都市でも、活力がなくなってきているように思う。

高齢化が深刻な地域だけではない。
高齢化は関係がない有名大学構内でも、活力がなくなってきているように思う。

時が経てば、物事が良い方向に進むだろうというのは、幻想にすぎない。
時が経っても、物事は良い方向に進むとは、限らない。

良い方向に進むように願っただけでは、良い方向には進まない。
良い方向に進むように行動しなければ、良い方向には進まない。
良い方向に進むように行動しても、良い方向に進むとは限らない。

願うだけでは、実現はできない。

核兵器がなくなることを願っても、核兵器はなくならなかった。
核兵器がなくなることを願い続けても、核兵器はなくならないかもしれない。
核兵器がなくなることを願うなら、核兵器が必要ない世界をつくるしかない。

それが難しいのなら、

核兵器があっても、核兵器が使われても、生き延びられるすべを手に入れるしかない。

それが、やっと、解決策になるかもしれない。

核兵器を使用しても相手が生き延びられるなら、核兵器を使う効果は薄れるはずだ。
核兵器が使用されても確実に生き延びられるなら、核兵器を怖れなくて済むはずだ。

あるいは、

核兵器を手に入れても生き延びられないなら、核兵器を持ちたいと思わないはずだ。

長年、事態は根本的な解決に至らなかった。

そろそろ、まったく新しい発想が必要なのだ。

今までのやりかたで解決できないなら、別の道を探すしかない。

別の道とは、

政治でも、外交でも、戦争でも、紛争でも、テロでも、諜報でも、制裁でも、デモでも、報道でも、美術でも、音楽でも、文学でも、ない。

残念ながら、それらでは、解決できなかった。

次世代のリーダーたちが、まったく新しい道を見出して、解決に導いて行くしかない。

それができる人こそが、本物のリーダーであろう。