[2022年8月29日]
都立中を目指すのはよい。
しかし、進学校で学ぶ覚悟がなければ入学する意味はない。
むしろ、こんなはずではなかったと思うことになりかねない。
楠隼であっても同じである。
進学校で学ぶ覚悟がなければ、入学する意味はなく、後悔することになる。
大学入試も、知識の詰め込みでは太刀打ちできなくなりつつある。
大学入試も、考え抜ける真の学力が試されるようになりつつある。
高校受験であっても同じである。偏差値が高い学校がよい学校とは限らない。
私立中学受験であっても同じである。偏差値が高い学校がよい学校とは限らない。
偏差値が高い学校に入学すれば幸せになれるとは限らない。
偏差値が高い学校に入学したことで不幸せになる人も多い。
偏差値が高い学校を目指せば、学力が伸びるというものでもない。
偏差値が高い学校を目指せば、幸せになれるというものでもない。
進学校に入学しても耐えられる勉強姿勢を身につけられないなら、都立中を目指すのは再考すべきだ。
進学校に入学しても耐えられる勉強姿勢を身につけられないなら、自らこの闘いから降りた方がよい。
もちろん、降りた後にどうするかという課題はある。
降りた後にどうするか見出せず続ける人もいよう。
都立中に合格することは人生の目標たりえない。
都立中に合格することは通過点にしかならない。
進学校に合格することは人生の目標たりえない。
進学校に合格することは通過点にしかならない。
その先を見据えられないなら、目指すべきではない。
その先を見据えられる人だけが、目指すべきである。
国語力を甘く見る受検生に成功はない。
算数力を甘く見る受検生に成功はない。
求められる力は私立中学受験とも違う。
そこを見極められないなら成功はない。
小6の夏に適性作文が書けない受検生は危うい。
小6に夏に適性算数が解けない受検生は危うい。
あなたには都立中は向いていないかもしれない。
あなたには楠隼中は向いていないかもしれない。
見極めが肝要である。
それが進路選択である。
あなたが進むべき道は他にあるのかもしれない。
他に進まなければ幸せになれないかもしれない。
稽古不足を、幕は待ってはくれない。
本番に間に合う人にしか喝采はない。
本番に間に合わない人に喝采はない。
あなたに合った道でしか喝采はない。
あなたに合わない道では喝采はない。
手遅れになる前に確かめるしかない。
手遅れになってから確かめても遅い。
あなたは誰と闘うつもりなのか?
あなたは何と闘うつもりなのか?
あなたはどう生きたいのか?
あなたは何に挑みたいのか?
あなたにとって、その道は、適切な選択なのか?
あなたにとって、その道は、正しい選択なのか?
この自問こそ、受検の出発点にすべきであろう。