パソコン版を見る

三田学院

[2022年9月3日]

【都立中】「適性読解力」を甘く見ない

都立中に向いているか、私立中に向いているか、という質問をよく受ける。

説明するのは難しいが、明らかに向き不向きはあると考えている。

学力が高くなければ、都立中も難関私立中も合格するのが難しいことは、誰の目ににも明らかだ。

しかし、都立中に向いているのか、私立中に向いているのかは、誰にでも見分けられるとは限らない。

都立中の適性検査で、基本中の基本となるのは、「指示通りに動けるかどうか」である。

これは簡単なようで簡単ではない。

適性検査では「右向け右」のような単純な指示はされない。

多くの受検生には、何をしていいのか分からないような指示となる。

ここで明暗を分けるのは、課題文やリード文と、問題文を正確に読み取れるかどうかである。

この適性検査問題を読み解く力としての「適性読解力」で、合格定員に達する程度に卓越していることが、まず合格の「必要条件」となる。

多くの保護者は、自分の子が、どの程度の立ち位置にいるかを正確に把握することは難しい。多くの保護者には他の家庭の子たちが、どの程度の「適性読解力」を持っているかを知る機会はほぼないからである。

日本語環境で育ったのなら、日本語で書かれた文章を読む、正確には意味も分からずとも読み上げることは、ほぼ全員ができる。

それだけで合格できるなどと思っている人はいないであろう。

課題文やリード文と問題文を、正確に読み取れることができるかどうかが明暗を分けるのである。

しかし、ほとんどの受検生は、正確に読み取れない。

正確に読み取れるためには、狭義の国語力だけでは十分ではない。

余裕をもって漢字や熟語や語彙や一般教養や教科の知識がなければ、実は正確には読み取れない。

平均的な学力の小学3年生に適性検査問題を解かせてみれば、一目瞭然である。

平均的な学力の小学6年生に適性検査問題を解かせてみても、一目瞭然である。

実は、

平均的な学力の中学1年生に適性検査問題を解かせてみても、結果は大きくは違わない。

零点か、人に言うのが恥ずかしいほどの低得点になる。

日本語が読めるだけでは適性検査問題で正解することはできないのである。

都立中の適性検査?、つまり適性検査国語分野で得点できるためには、小学校で学習する国語が得意なだけでは、まったくもって不十分なのである。

具体的には、国語のカラープリント・テストの、表面が満点なだけでは合格できない。表面だけでなく裏面も満点なだけでは合格できない。

何が必要なのか。

国語分野に絞れば「深い洞察力」である。

極論すれば、平均的な大人の洞察力を超えるような、「深い洞察力」である。

実は、適性検査国語分野の課題文は、公立高校入試の国語の課題文として出題されてもおかしくないようなレベルのものが、毎回のように出題されている。

もちろん、小学校で習わない漢字には読みがながふられたり、小学生の一般教養として求めるには難しい用語には解説がつく。

しかし問題のレベルは小学校の学習内容の範囲内と言い切るにはグレーなレベルの高難易度となっている。

ここで「指示通りに動ける」のは、小学生のごく一部となる。

ただ国語が得意な程度では解けない。
ただ大人びているだけでは解けない。

しかも、小学生らしい洞察力があるだけでは解けない。

世の中の平均的な大人を超えるような「深い洞察力」が求められる。

「洞察力」は、学年が上がり成長すれば、それなりに伸びる。
「洞察力」は、学力が上がり成長すれば、それなりに伸びる。

しかし、成長し学力がついても、高いレベルの「深い洞察力」に届くとは限らない。

この洞察力は、漢字が書ける、計算ができる、などの基礎学力では計測できない。

しかも、多くは幼いうちから大きな差が生じやすい。

少なくとも平均から下半分の低学力層には、一生かかっても獲得できないだろうと思われる。

適性検査入試の本番までに獲得できるのは、多く見積もっても、学力上位10%か15%程度に限られのでないだろうかと思う。

深い洞察力を計る専門の試験はないが、適性検査国語は、実はそれに相当するかもしれない。

実際に都立中に合格できるのは、東京都の1学年約10万人のうち、約2千人弱である。つまり2%以下だ。

もちろん私立や国立の中学に抜ける中学受験生はいるから、かならずしも上位2%にはならないが、私立御三家を辞退してでも都立中に入学してくる受験生がいる状況になったので、上位10%であっても残念になる受検生は後を絶たないことだろう。

受検校の難易度にもよるが、安定して上位2%〜7%に入れていなければ、合格発表の日に合格者リストに入れる可能性は厳しくなると考えていた方が安全だろう。

この「深い洞察力」は、ただ受験勉強をしただけでは、育たない。

身の周りの出来事に、日々関心を持ち、日々疑問を持ち、そして、深く考えることを繰り返すことが必要になる。

関心を持て、疑問を持て、深く考えろと言っても、できることではない。

しかも、倫理的に問題がない発想や思考の方向性で、深く考えることができなければならない。

さらには、奇想天外すぎてもいけない。

そうした「深い洞察力」

幼いころから、それを持ち続けている子なら、都立中に向いていると言えよう。

ただ学力が高いだけなら、難関私立中を目指した方が、安全であろう。

学力が高くない子は、普通の私立中か、普通の高校に向いているだろう。

深い洞察力がありながら、学力が普通以下という人には、めったにいないであろう。記憶の限り出会ったことがない。

もしいたとしたら、中学受験や高校受験では成功できないだろうが、大学受験のAO入試であれば、大逆転できる可能性はある。