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三田学院

[2022年10月1日]

【都立中】新たな「勝利の方程式」

より難易度の高い学校に合格することが勝利であり、
そのためにはどんな犠牲もいとわないのが正しくて、

その先には約束された幸福が待ち受けているはずで、
そこで謳歌できるはずの楽園生活こそ人生の目標で、

その軌道を進んだ者こそが勝者と呼ばれるに値する。

それがかつての、勝利の方程式だったかもしれない。

御三家を筆頭とする偏差値ヒエラルキーによって形作られた世界観であった。

ここに風穴をあけたのが、東京大学の推薦型選抜であり、京都大学の特色入試であり、早稲田や慶應の総合型選抜であった。

それは、大学が先導したというよりも、社会や産業界が求めたものを、大学が具現化しただけであったとも評価できる。

難関大学を卒業していながらも使えない新入社員
難関大学を卒業していながらも直ぐ辞める社会人
難関大学を卒業しながらも働く意欲がない社会人

大学も企業も公官庁も、かつての「偏差値エリート」たちへの評価は厳しくなるばかりだ。

新たな指標として注目を集めているのが「評定平均」である。

推薦型選抜では、私立大学はもちろんだが国公立でも、この「評定平均」が、入学者選抜における主たる判断基準となっている。

総合型選抜では、必ずしも「評定平均」が一定水準以上ある必要はないが、入学者選抜における総合的な判断に利用される。

評定平均 ≠ 内申点 ≒ 報告書点

公立小学校における報告書点と、公立中学校における内申点には、強い相関関係がある。

しかし、報告書点や内申点と、評定平均との間には強い相関関係はない。

これは、評定平均が、同じ実力でも、通う高校によって違ってくるからだ。

これは実に厄介で、難関校ほど低くつき、入学難易度が低い高校になればなるほど高くつく傾向がある。もちろん、おなじ難易度の高校間でも違いがある。

ところが、殆どの大学では、これを適切に調整しないまま、入学者を決めている。

つまり、評価の辛い高校へ進むよりも、評価の甘い高校へ進む方が、推薦型選抜や総合型選抜では有利になるということだ。

私立大学の指定校推薦では、学校ごとのデータをもとに修正して、学校ごとに推薦で受け入れることが可能となる「評定平均」の基準を変えていることが多いが、多くの国公立大学はデータの蓄積が不十分なためか、それとも気にしていないためか、このような調整を行っていないようなのである。もちろん、私立大学の調整も適切かどうかは怪しい。

このことから言えることは、「評定平均」が甘い高校へ進むことが、後々に非常に有利になる可能性があるということだ。

具体的な学校名をあげることはしないが、都立中高一貫校にも、「評定平均」が辛い学校と、「評定平均」が甘い学校が、ある。

入学難易度が高ければ辛い傾向にあり、入学難易度が低ければ甘い傾向にあるが、学校間で相互に連絡を取り合っている訳ではないので、必ずしもこの傾向に従わない場合もあり、断言はできない。

しかも、受験生や保護者には、どこが辛くてどこが甘いかを比較検討できるだけの十分な情報はほとんどないから、事前に判断することも難しい。

ただし、一般的な傾向として、入学難易度が高い高校は辛い傾向にあり、入学難易度が低い高校は甘い傾向にあることが多い。これは、それぞれの高校の歴史にも依存していて、伝統的な難関校は総じて辛く、そうでない難関校には甘めの学校がある。つまり、優秀な生徒が急に増えた高校は、過去の評価のデータをもとに、新たに入学するようになった優秀な生徒に対する評価が甘めになる、つまり高く評価する傾向が感じられる。

ただし新興高校でも、難関化が定着してしばらくしたら、伝統難関校なみに評価が辛くなる可能性はある。

これは、おなじ実力なら、入学する学校の難易度を若干下げた方が、より高い「評定平均」を取れる可能性が高いことを示唆している。

つまり、この観点からは、難易度が高い学校に入学することが、必ずしも成功を意味しないことを意味する。

一般論として、集団内の序列で、上位にいる方が高いモチベーションを維持しやすく、下位にいる方がモチベーションは低くなるから、高校3年間や中高6年間を、より意欲的に過ごせるか、劣等感に苛まれながら過ごすか、この違いは決定的に大きい。

「新しい勝利の方程式」

高い偏差値ではない
狭義の学力でもない
難関校合格でもない

「高い評定平均」である

意欲的になれ
充実を味わえ

成果が上がり
高く評価され

自信が持てて
希望が広がり

挑戦ができて
成功へ繋がる

「高い評定平均」の獲得

これが「新たな勝利の方程式」になりつつあるのだ。