[2022年10月14日]
適性検査作文は、実は国語のようで国語ではない。
実際に出題された適性検査の過去問を、先入観や思い込みなしで、じっくり見てもらえば、分かる人には分かるはずだ。
よって、適性検査作文は、国語力だけをひたすら向上させても、得点できるようにはならない。
難関私立中学の国語で高得点が取れても、必ずしも適性検査作文で高得点が取れるとは限らない。
難関私立中学の国語で高得点が取れなくても、適性検査作文で高得点が取れることは十分にある。
要は、一般的に考えられている国語と、適性検査国語は、一致していないのである。
このため、小学校の国語が得意なだけでは、私立中受験指導塾の国語が得意なだけでは、もっと言えば適性検査型指導を行う多くの塾の国語が得意なだけでは、適性検査作文では高得点は取れない。
では、適性検査作文で求められる力とは何であろうか。
言葉で書くと誤解を招きそうだが、あえて書いておく。
課題発見能力
課題発信能力
課題解決能力
自己認識能力
自己評価能力
自己と向き合う力
自己を高める素養
他者認識能力
他者評価能力
他者と向き合う力
他者と協働する力
社会認識能力
社会評価能力
社会と向き合う力
社会を改善する力
そして、
哲学できる力
論理で語る力
である。
まさに、教科を横断して、教科の枠を超えて、考え抜ける力が問われる。
国語の力だけでは立ち向かえない。
このため、旧態依然とした国語指導や作文指導はもちろんだが、旧態依然とした教科指導では、適性作文力は向上しない。
しかも、これらの力は、誰にでも身につけられる能力ではない。
大多数の人は、こうした力がなくても、普通に生きては行ける。
これらの力が求められるのは、将来に、何らかの分野やフィールドで、リーダーやフロンティア・ランナーとして能力を発揮しなければならない人に限られる。
その分野やフィールドが、大きいか小さいかは、さほど重要ではない。
ただ、ネットやクチコミなどを探せば、解決策や答えが見つかるような課題にしか取り組まない人には、必要がない力である。
まあ、公立中高一貫校の適性作文は、小学生向けに難易度を大きく下げているので、過度に深刻になる必要はないが、誰もが鍛えれば育つ力ではないことも知っておくべきだろう。
適性検査作文は、狭義の国語力では太刀打ちできない。
それを承知している指導者の下で、適切な指導を受けなければ、ほとんどの受検生は、お粗末な適性作文しか書けないまま、都立中入試本番を迎えることになる。
適切な指導者や適切な指導は、どの保護者でも見分けられるものではない。
ただ、わが子の適性作文が、いつまでもお粗末なままであることに気がつく保護者なら、そこそこいるかもしれない。