[2022年10月24日]
無理ゲーとは、攻略して先へ進むことが困難なゲーム(コンピュータ・ゲームなど)を指す言葉として、SNS上などで使われることが多いようである。
転じて、実社会における生き抜くことの困難さを比喩する言葉として使われることもあるようだ。
高度経済成長期など「努力すれば誰もが豊かになれる」という共同幻想が成立した時代があった。
しかし、バブル経済が崩壊し失われた時代が長く続いた今は「努力をすれば誰もが豊かになれる」という幻想は衰退した。
多くの社会で、個人資産は「正規分布」ではなく「べき分布」していることが知られるようになってきている。正確には、正負の符号を逆転させた「べき分布」だ。
富の「べき分布」が強い社会では、中間層以下への富の分配が小さくなる。そして、下位層になればなるほど富はほとんど配分されなくなって行き、生きることさえ困難な最下層の比率が高まって行く。
ごく一部の人が富を独占している実態は、多くの国や社会で確認されていて、それらが、自由主義経済なのか社会主義経済なのか、民主主義なのか専制主義なのか、先進国なのか発展途上国なのかを問わない。
唯一の国家レベルでの成功例は、北欧や中欧などで推進されてきた高福祉社会だが、高福祉社会を実現できる条件が備わっている国や地域はごく限られ、どの国や地域でも実現できるものではない。
「無理ゲー社会」を生き抜く処方箋はあるのだろうか。
「べき分布」社会の勝者になろうとしても、勝者になれるのはごく一部でしかない。
「べき分布社会」から離脱するか、「べき分布社会」を超越すれば、「べき分布社会」の敗者からは逃れられるかもしれない。
「べき分布社会」を離脱したり超越するにはどうしたらよいのか。
一つのアイデアは、他人が創り出した「他人の価値観で生きない」ことかもしれない。
御三家や最難関に合格すれば人生で成功できる
私立大学附属校に合格すれば人生で成功できる
そもそも、中学受験で、御三家や最難関や附属校に合格し進学することは、必ずしも成功を保証してこなかった。
「べき分布社会」の勝者には、学歴をふくむ経歴が、総じて怪しい人たちが多い。
「無理ゲー社会」や「べき分布社会」を生き抜くヒントは、ここにある。
では具体的にどうしたらよいか。
答えを書けば、考える機会を奪うことになるので、ここには書かない。
代わりに、今日の適性作文演習の「お題」にしてみようと思う。
採点しながら講評したい。